タカサキきんこんかん

タカサキのキンコンカンの日々

映画『不思議なクニの憲法』上映会のお知らせ

9月25日(日)午後1時からアート屋わんどで映画『不思議なクニの憲法』の上映会をおこないます。

 

 昨年安保法案が国会で強行採決されてちょうど1年がたちます。IWJの20代の若い女性記者があの時を振り返っています。

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 国民の意見を全く聞こうとしない安倍政権、民主主義のルールを全く守ろうとしない安倍政権の恐ろしさがストレートに伝わってきます。この国は、ほんとうにどこに向かっていくのでしょう。

 早ければこの秋、憲法改正国民投票がおこなわれる可能性があります。Twitterの情報で憲法改正手続きの流れがわかりやすく示されていました。改憲勢力が三分の二を占めているので、その気になればすぐにでも手続きが始まります。まだ大丈夫、なんて油断していると、昨年の強行採決に見たように、安倍政権は暴力的に事を進めます。

 

 84歳になる方の貴重なブログです。

第1号 日本はこういう国だった 戦後に生まれたあなたに - 昔あったづもな通信

 

 『不思議なクニの憲法』ぜひ見てください。

takasakiaki.hatenablog.com

 

映画『不思議なクニの憲法』上映会と「憲法カフェ」開催のお知らせ

9月25日(日)午後1時からアート屋わんどで『不思議なクニの憲法』の上映会をおこないます。今回は近所に住む中島さん、鈴木さんたちが呼びかけた「霧ヶ丘で《不思議なクニの憲法》をみる会」が主催です。そして10月14日(金)にはぷかぷかカフェで女性弁護士さんを呼んでおいしいコーヒーを飲みながら憲法を話を聞く「憲法カフェ」が開かれます。

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 こういう集まりをやろうとすると「政治的なことはちょっと…」と尻込みする人が多いのですが、でも、政治的なことは、そうやって尻込みする人のところへもずかずかと入り込んできます。

 昨年、「安保法案」が強行採決の結果、国会を通りました。あの強行採決の映像見ましたか?とても子どもに見せられる映像ではありませんでした。あれが国会議員のやることですか?「政治的なことはちょっと…」と尻込みしたり、政治のことは政治家に任せておけばいい、と思って黙っていると、政治はああいう強行採決をおこない、無理矢理日本を戦争のできる国にしてしまうのです。政治から目を離してはいけない、私はそう思います。

 子ども達に「日本はどうしてこんな国になってしまったの?」と聞かれたとき、どう説明しますか?子ども達は大人が引き起こした結果をすべて引き受けることになります。戦争もそうです。前回書いた「宙を蹴る赤ちゃん」にはどう答えればいいのでしょう。

takasakiaki.hatenablog.com

  

 安倍政権は、国を守るためには血を流す必要があるなどという人を防衛大臣にしました。安倍政権の姿勢が露骨に見えます。どこかの国と戦争になるのは、もう時間の問題です。それを食い止めるにはどうしたらいいか、今、必死になって考えないと、ほんとうに怖いことになります。

 子ども達に希望のある未来を残したい。そう思うだけです。

 今、政治がどうなってるのか、それをふだんからしっかり見ておくこと、そしておかしいことはおかしい、はっきり声を上げていくこと、それが何よりも求められています。 

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八月の赤子はいまも宙を蹴る

 8月14日(日)朝日新聞朝刊の「日曜日に想う」はとてもいい記事でした。

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 「八月の赤子はいまも宙を蹴る」という俳句は八月の元気な赤ちゃんではなく、戦時中、空襲で黒焦げになった赤ちゃんだといいます。宙を蹴る黒焦げの赤ちゃん。苦いものがこみ上げてきました。

 「赤ちゃんというのは足で意思を表すものですよ。抱っこしていると足で蹴っていやだと言ったり、足でものを言うのです」 と、俳句の作者。

 自分の子どもの赤ちゃんの頃をふと思い出し、八月の赤子の宙を蹴りながら「絶命の間際に手と足を伸ばして母親に救いを求めた」姿がリアルに目に浮かびました。辛くて辛くて涙が出ました。

 その辛さからもういっぺん世界を見渡すこと、その中で自分に今何ができるかを考えること、そして何よりも具体的な行動を始めること、を思いました。「赤子に宙を蹴らせるなかれ」の一点につきます。

 

「 小さき者が宙を蹴る姿は、炎に巻かれた恐怖、死への抗(あらが)い、本能的な怒りと悲しみ……そうしたもろもろを叫ぶ、言葉以前の言葉であったかもしれない。戦火はいつも「無辜(むこ)」の2文字を、大義やら正義やらの名の下に踏みにじる。」

 

 近所の仲間と一緒に『不思議なクニの憲法』をまた上映します。ダウンロードボタンを押すとチラシが出てきます。

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あさイチで「戦争はいやだ」を特集しました。

  あさイチで「戦争はいやだ」を特集しました。すごいです。ちょっと長いですが、見応えのある番組です。NHKも、まだがんばっている部門があるのだと安心しました。

 シリアで戦争がはじまったときの話はほんとうに怖いです。きっかけは平和デモに対する軍による発砲です。でも、まだ話し合いをすれば大丈夫、まだお互い話し合いをすればなんとかなる、と思っているうちにどんどんエスカレートしていって、誰も止められなくなったといいます。廃墟になったアレッポの町並みが悲しいです。

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自由にものが言えなくなる、報道の自由がなくなる、情報が得られなくなる、自分の頭で考えなくなる、それも戦争だと、経験した外国の方は証言します。日本はゆっくりそれに向かって進んでいるように思います。

養護学校の生徒とヒロシマの詩を読む

 8月6日なので、もう一つヒロシマの詩を取り上げます。養護学校の教員をやっている時、生徒と一緒に、結構必死になってヒロシマの詩を読んだ時の話です。ちょっと長いですが、多分養護学校では初めての試みで貴重な記録になっています。

 
 高等部では2年生で沖縄に修学旅行に行きます。それに合わせて沖縄をテーマにした芝居を作りました。私が担当したので、旅行の1年前に下見に行きました。そのとき、読谷村の小さな公園のガジュマルの木のたたずまいがすばらしく、芝居の軸になる気がしました。曲がりくねった大きなガジュマルの木が、両手を広げて公園に覆い被さるように生えていました。子どもを守るお母さんのような感じでした。

 芝居作りはこのガジュマルの木の詩を書くところから始まりました。たいした詩ではありません。こんな感じです。

 

   わしはガジュマルの木

   おじいさんのおじいさんのそのまたおじいさんの

   子どもの頃からずっとここに立っている 

   晴れた日も、嵐の日も

   ずっとここに立っている

   そして村の出来事をずっと見てきた…

   枝のすみには  キジムナー

 

 

 ガジュマルの木にはキジムナー(子どもの妖怪)がいます。キジムナーの詩も書きました。

    オレはキジムナー

    大きなガジュマルの木がオレのすみか

    朝から晩まで寝てばかり

    夜になると、ようやく目を覚まし

    どこかへ ぶわ〜っと飛んでいく

    さぁ、こんやはどこへいこうかな

 

 と恥ずかしいような詩を書いたのですが、音楽の教師に曲をつけてもらいました。ガジュマルの木の歌とキジムナーの歌ができあがり、この歌をベースにお話を作りました。

 ガジュマルの木とキジムナーたちの楽しい日々からお話が始まります。時は沖縄で戦争のあった頃です。ある日アメリカ兵がやってきて、

 「明日の朝、あの村を攻撃する」

と言って、ガジュマルの木の下に大きな大砲を設置していきます。

 ガジュマルの木の精はあの村の人たちのことをよく知っていました。子ども達は時々ガジュマルの木に登りに来ていました。子ども達と一緒にお母さん、お父さん、おじいさん、おばあさんもきていました。みんなで三線をかき鳴らしながら、ガジュマルの木の下で踊っていました。明日の朝、あの村に大砲を撃ち込むと、あの子ども達も、そのお母さんも、お父さんも、おじいさんも、おばあさんも、みんな死んでしまいます。そんなことは絶対にあってはならないと、木の精はガジュマルの木にすんでいるキジムナーたちに相談します。

 キジムナーたちは夜のうちに大砲に魔法をかけます。

 さて、次の日の朝、兵隊たちがやってきて、攻撃の準備をします。

 「ねらえ、撃て!」

 「どかん!」

 大砲から飛び出したのは、たくさんの花束でした。ガジュマルの木の優しさとキジムナーたちの魔法が子ども達、お母さん、お父さん、おじいさん、おばあさんを救ったのでした。

 そんな芝居を生徒たちとやったのですが、芝居を作りながら、

 「大砲から弾が発射されるとどうなる?」

といった質問をすると、たいていは村人たちが死んでしまう、というのですが、その「死んでしまう」ということの悲惨さが、なかなかイメージできません。

 夜が明けたら村に向かって大砲が撃たれることを知ったガジュマルの木の精が、

 「ああ、困った」

 というのですが、言葉がどこか他人事でした。

 人が死ぬことの悲惨さをどうやったら生徒たちは想像できるのだろう、と思いました。

 いろいろ考え、詩を読むことにしました。峠三吉の「仮繃帯所にて」という詩です。内容的には目を背けたくなるような辛い詩です。詩を読むなかで、その辛さに向き合って欲しいと思いました。向き合うことで、人が死ぬってどういうことか想像して欲しいと思いました。

 

    『仮繃帯所にて』

   あなたたち

   泣いても涙のでどころのない

   わめいても言葉になる唇のない

   もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
   
あなたたち

   血とあぶら汗と淋巴液
   とにまみれた四股

   をばたつかせ

   糸のように塞いだ眼をしろく光らせ

   あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐
だけをとどめ

   恥しいところさえはじることをできなく
させられたあなたたちが



   ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを

   たれがほんとうと思えよう

   焼け爛れたヒロシマの

   うす暗くゆらめく焔のなかから

   あなたでなくなったあなたたちが

   つぎつぎととび出し
   這い出し

   この草地にたどりついて

   ちりちりのラカン頭を
   苦悶の埃に埋める

   何故こんな目に遭わねばならぬのか

   なぜこんなめにあわねばならぬのか

   何の為に

   なんのために

   そして
   あなたたちは

   すでに自分がどんなすがたで

   にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない

   ただ思っている

   あなたたちはおもっている
   
今朝がたまでの父を母を弟を妹を

   (いま逢ったって たれがあなたとしりえよう)
   
そして眠り 起き ごはんをたべた家のことを

   (一瞬に垣根の花はちぎれ いまは灰の跡さえわからない)
   おもっている
   おもっている

   つぎつぎと動かなくなる同類のあいだに
はさまって
おもっている

   かって娘だった
にんげんのむすめだった日を

                         (峠三吉

 

 私がまず朗読しました。みんなびっくりするくらい集中していました。授業中に彼らがこんなにも集中したのは、恐らくはじめて、といっていいくらい深い集中でした。あまりに深い集中に圧倒され、朗読のあとの言葉がなかなか出てきませんでした。こっちも必死になって、次はみんなに朗読してもらうことを伝えました。

 詩の言葉に丁寧にふれて欲しいと思いました。私の読むのを聞くだけでなく、自分で読む、声を出して読む、人の前に立って読む、そうやってようやく言葉にふれることができると考えていました。


 まず半分の生徒が前に出て、一人1行ずつ読みました。模造紙に書かれた詩に目を向けながらも、気持ちは朗読を聞いてる人に向けるように言いました。その人に向けて言葉を読む、言葉に含まれた気持ちを伝える、ということです。


 1回目はかなりぎくしゃくした読みでしたが、2回目は言葉に書かれた情景が彼らの中に少しずつですがイメージできた読みでした。聞いてる生徒も2回目の方が断然よかったといっていました。読む方もイメージできた分、読みやすかったといっていました。


 グループを交代して、やはり2回繰り返して読みました。

 次は二人で、今度は長いセンテンスで読みました。たまたまですが、女性二人で読んだこともあって、詩の中の
 
   ああみんなさきほどまでは愛らしい

   女学生だったことを

   たれがほんとうと思えよう

   ……

   あなたでなくなったあなたたちが

   つぎつぎととび出し這い出し

   ……

   そしてあなたたちは

   すでに自分がどんなすがたで

   にんげんから遠いものにされはてて

   しまっているかを知らない

   ……

「あなた」という言葉がしみて、わたしは聞きながら涙が出そうになりました。死んでいったのは多分同じ年ごろの女学生でした。そのこともあって彼らが読む時の「あなた」という言葉には力がありました。自分と重なりあう「あなた」への思い。

 読み終わったあと、生徒の一人は「毎日ごはんが食べられて私は幸せだと思います」と言い、もうほんとうにびっくりしました。ふだんはちょっと頼りない人です。でも、こんなすごい言葉がぽろっと出てきたのです。こういうことが詩を朗読することの面白さだと思います。詩の朗読は、人を自由にし、人を変えます。


 最後に一人で詩を全部読んだ生徒がいました。この詩を人の前で全部読むのは相当なエネルギーがいります。私自身、ほんとうに気合いを入れないと読めませんでした。それを手を上げ、一人で読みます、といったのです。この詩を読む辛さを全部一人で引き受けるというわけです。人前に立ち、声を出しながら、この詩に向きあおうというのです。

 
言葉にならない感動がありました。

 

 

  ★このブログを読んでいただいたあなたへ。

   「仮繃帯所にて」をぜひ声を出して読んでみてください。

 


〈ヒロシマ〉というとき〈ああ ヒロシマ〉と やさしくこたえてくれるだろうか

 

今日は71年前、広島に原爆が投下された日。

 

 

ヒロシマ〉というとき

〈ああ ヒロシマ〉と

やさしくこたえてくれるだろうか

ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー

ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺

ヒロシマ〉といえば 女や子供を

壕のなかにとじこめ

ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑

ヒロシマ〉といえば

血と炎のこだまが 返って来るのだ

 

ヒロシマ〉といえば

〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは

返ってこない

アジアの国々の死者たちや無告の民が

いっせいに犯されたものの怒りを

噴き出すのだ

ヒロシマ〉といえば

〈ああヒロシマ〉と

やさしくかえってくるためには

捨てた筈の武器を ほんとうに

捨てねばならない

異国の基地を撤去せねばならない

その日までヒロシマ

残酷と不信のにがい都市だ

私たちは潜在する放射能

灼かれるパリアだ

 

ヒロシマ〉といえば

〈ああヒロシマ〉と

やさしいこたえが

かえって来るためには

わたしたちは

わたしたちの汚れた手を

きよめねばならない

                  (栗原貞子

 

 

 あのヒロシマから71年、人間は少しずつかしこくなってきたと思っていたのですが、今回の内閣改造を見て、かしこくなるどころか、また戦前に戻るのではないかと不安になりました。

 防衛大臣に任命された稲田朋美氏は、第二次世界大戦中の日本が数々の残虐行為を犯したという認識に異議を唱えていて、日本の核武装をも検討すべきだと発言しています。「自分の国を守るためには血を流す覚悟をしなければならないのです」などと言い、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教行事」と全く理解に苦しむようなことも言っています。

 世界各国が不安の声を上げています。不安の声が上がるほどの人をどうして防衛大臣にするのでしょう。安倍政権は日本をどこへ引っぱっていこうとしているのでしょう。

 

「〈ヒロシマ〉といえば 〈ああヒロシマ〉と やさしいこたえが かえって来る」 日が、また遠のいた気がします。

 遠のくどころか、

「女や子供を 壕のなかにとじこめ ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑」

をまた繰り返すのではないかと、本当に不安に思います。

 いろんな人がいろんなところで、不安の声を上げていかないと、本当にまずいと思います。

 

 

 


 

名前のない死は、悲しいです。

  学生の頃、石原吉郎という詩人が好きでした。シベリア強制収容所での過酷な体験が生と死を考える原点になっている詩人です。その詩人のエッセイにこんな文章があります。(学生の頃読んだものですが、いまだに頭に残っています)

 

 ジェノサイド(大量殺戮)の恐ろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。その中に一人ひとりの死がないことが私には恐ろしいのだ。…死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、一人ひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。(石原吉郎「確認されない死のなかで」)

 

 「障害者」「19人」というくくりのなかでの死からは、一人ひとりのかけがえのない人生がどこかへ行ってしまいます。一人ひとり名を呼び、その人の人生を想起すること、そのことが亡くなった方への礼儀ではないかと思うのです。それは障がいがあるとかないとか以前の、人の死にどのように向き合うのか、といった問題だろうと思います。

  

 今朝も朝日新聞に相模原での事件で犠牲になられた方の記事が載っていました。

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 名前のない死は、どこまでも悲しいです。