タカサキきんこんかん

タカサキのキンコンカンの日々

「子ども達を戦場に送るな」は中立性を逸脱している?

昨日の 朝日新聞「日曜に想う」は秀逸でした。

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 民主主義の国で政権与党が「密告」を促す呼びかけをするなんて、この国はそこまで落ちたか、という思いです。ほんとうに怖い国に向かっていると思います。

 新聞には書いてなかったのですが、その「密告フォーム」の冒頭に書かれていた次の言葉にはほんとうにびっくりします。

 

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 「党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』、あるいは『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です」

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 「子ども達を戦場に送るな」は、誰しも思うことです。それがどうして中立性を逸脱することになるのでしょう。自民党の議員たちは自分たちの子どもが戦場に送られそうになっても、何も思わないのでしょうか?それとも自分たちは国民を支配する特権階級だから、そんなことがあり得ないと思っているのでしょうか?

 普遍的な心情といっていい「子ども達を戦場に送るな」を中立性を逸脱していると判断する議員の発想は、この国がもうゆっくりと戦争に向かって準備していることを図らずも暴露したのではないでしょうか。

 

政治は若い人たちが希望を持てるような未来を描くべきです。

 若い人のやりきれない思いの投書です。

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 若い人にこんなことを言わせる政治は情けないです。間違っています。

 政治は若い人たちが希望を持てるような未来を描くべきです。若い人たちの背中を押すような、未来に向けた物語を語るべきです。そういうことができない政治家は、政治の舞台から潔く降りるべきです。

 憲法改正は「悲願」だと安倍首相はいいます。若い人も含めてみんなが共有できる「悲願」でしょうか?こういう自分勝手な「悲願」は、たくさんの人に迷惑なだけです。迷惑どころか、場合によっては、たくさんの人たちの人生をめちゃくちゃにします。

 若い人たちが希望を抱ける未来はどうやったらできるのか、私たちは今、真剣に考える必要があると思います。こんな政治を許してしまった私たちの責任として。

私たちが自由にもの言えなくなる社会をつくろうとしてる

 水野スウさんがFacebookで「緊急事態条項」のことをとてもわかりやすく書いていましたので、紹介します。

 

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憲法をかえる・かえないの国民投票の前に、あなたにどうしても知ってほしいことがあります。

今の日本国憲法と、自民党改憲草案との違い。とりわけ、今の憲法にはない「緊急事態条項」のこと。

改憲のてはじめとして、まずここからかえるだろう、と言われている条項です。

大災害やテロを口実に、これを憲法に書き込むことが必要と政府は言うけど、本音は、私たちが自由にもの言えなくなる社会をつくろうとしてること。

憲法も国会も停止した中で、総理大臣がすべての権限を手にし、総理大臣の決めることが”法律”になるってこと。

国民投票のしくみについても、どうか知っていてください。

憲法のここをかえよう、という議論が秋の国会ではじまって、それに賛成する議員が衆参ともに3分の2いれば、憲法かえよう、と正式に言いだすこと=発議ができる。

参院選の結果、改憲派の議員の数が両院とも3分の2を超えたので、発議のハードルはもうちっとも高くありません。

改憲発議のあとは、憲法をかえる・かえないの国民投票が、60日から180日以内に行われるきまりです(一番長くて、たった半年!)。

その国民投票、たとえどんなに投票率が低かろうと、有効投票数の過半数の賛成で、憲法が、本当にかえられてしまいます。

もしもこの国が100人の村だったとして、多くの村びとが、憲法なんて知らないよ、関係ないさ、って思っていて、村の20人しか投票に行かなかったとします。

そのうちの10人が賛成したら、憲法はもう書きかえられてしまう、ってことです。

草案の中味を知っていて、賛成する人ももちろんいるでしょう。

でもまるで知らなくて、国民投票にも行かなくて、あなたの自由や尊厳が奪われたあとでそれに気づくっていうの、いやじゃありません?

知ってたんなら、なぜ言うてくれなかった、もっと早よから言うとってや〜〜!って言いたくなりません?

だから、知ってる人は、今からまわりに言おう、知らせよう。

私も知っちゃったので、知ったものの責任として、伝えよう、伝えなくちゃ、と思うのです。

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 そうなんです。緊急事態条項のことをもっともっとたくさんの人たちに知らせないと、本当にまずいと思っています。緊急事態条項は一度通ってしまうと、元に戻す手立てがありません。期限もないし、国会も開かれません。独裁政治がずっと続くことになります。戦争がはじまっても、それに対して抗議もできません。自由にものが言えません。基本的人権は大幅に制限されます。マスコミも自由に報道ができなくなります。情報を得ることが全くできなくなります。かつての戦時中と同じになります。

 

 岩波ブックレットの『憲法に緊急事態条項は必要か』によれば

大日本帝国は国家緊急権の濫用の結果、軍隊が暴走し、中国への侵略戦争をおこない、ついに、アメリカとの総力戦、つまり太平洋戦争という究極の「緊急事態」を日本に招くことになりました。国家緊急権の濫用がどのような事態を招いたかは太平洋戦争の末期を見れば明らかです。」

 

 憲法解釈改憲などといったものを平気でおこなう安倍政権は、もう暴走しています。緊急事態条項を手に入れれば、もっと暴走することは火を見るより明らかです。暴走の果てに何があるか、私たちはしっかり想像する必要があります。子ども達の未来のためにも。

 

  参考になるサイト、本を紹介します。

★災害時に緊急事態条項は必要らしいと思っているあなたに(参院選前に書かれたサイト)

sealdspost.com

 

★永井弁護士の講演会

j-c-law.com

 

 ★『憲法に緊急事態条項は必要か』

 https://www.amazon.co.jp/憲法に緊急事態条項は必要か-岩波ブックレット-永井-幸寿/dp/4002709450

 

 

★WEB  RONZA

webronza.asahi.com

 

★9条改正よりもヤバい緊急事態条項

www.facebook.com

 

★あたらしい憲法草案のはなし

www.tarojiro.co.jp

  

『女性自身』(8月2日号)

女性週刊誌がここまで書くのは、それだけ大変な政治状況だということです。

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 読みにくいので、大事な部分を書き出します。
神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは
「安倍首相には任期というタイムリミットがあります。次の衆議院選挙で三分の二取れる保証もない。だから、短期決戦に出てくるはずです。9条や基本的人権の尊重などに手をつけると、国論を二分する騒ぎになる。それを調整するだけの時間的余裕が政権にはありません。ですから憲法本体には手をつけず、「緊急事態条項」の「加憲」の一点張りで勝負に出ると予測しています」
 更に「『緊急事態条項』を通せば、それからあとは何が起きようと、総理大臣がこれは『緊急事態』だと認定すれば、憲法が停止できます。政府の出す政令が法律に変わる。つまり事実上の独裁体制が成立します。緊急事態条項というものを国民は震災や津波のようなときに行政府に権限を集中する緊急避難的措置のようなものだと理解しているのでしょうけれど、その本質は憲法停止の条件を定めたものです。『改憲』ではなく『廃憲』です。緊急事態条項さえ通せば、総理大臣は憲法を好きなときに停止できる。つまり、国民主権立憲主義をうたう憲法の全体が無効化されるということです。改憲の本丸は『緊急事態条項』です。9条などで収拾がつかなくなったときに『では、どなたも異論のなさそうな緊急事態条項を加えるというところで妥協します。』と引き下がるポーズをして見せて、全権委任を手に入れる。官邸は今、そういう絵を描いているはずです。
 ですから『緊急事態条項』だけは絶対に通さないという強い意志を、読者のみなさんが持っていて欲しいと思っています。」

 

www.excite.co.jp

人間の暮らしは、なにものにも優先して、一番大事なもの

 水野スウさんのFacebook花森安治さんの言葉が載っていました。

 

7月16日のNHKとと姉ちゃん」より。

 

花山さん

「 …私は、戦争中、男には毎日の暮らしなどよりももっと大事なものがあると思いこんできた、思いこまされてきた。

しかしそんなものはなかったんだよ、毎日の暮らしを犠牲にしてまで、守って闘うものなど何もなかった。

人間の暮らしは、なにものにも優先して、一番大事なものなんだ。それは何者もおかしてはならない。たとえ戦争であっても。今ようやくわかった。


もし豊かな暮らしを取り戻すきっかけとなる雑誌をつくれるのなら。」

 

 

昭和20年10月、お茶の水ニコライ堂の下のちいさな喫茶店での、花森安治さんの言葉が、大橋鎮子著『「暮しの手帖」とわたし』にこのように記されています。

 

 …君はどんな本を作りたいか、まだ、ぼくは知らないが、一つ約束してほしいことがある。それはもう二度とこんな恐ろしい戦争をしないような世の中にしていくためのものを作りたいということだ。

 戦争は恐ろしい。なんでもない人たちを巻き込んで、末は死までに追い込んでしまう。戦争を反対しなくてはいけない。君はそのことがわかるか。

 君も知ってのとおり、国は軍国主義一色になり、誰もかれもが、なだれをうって戦争に突っこんでいったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしなかったからだと思う。もしみんなに、あったかい家庭があったなら、戦争にならなかったと思う。

 

 

自分の暮らし、毎日の暮らしを何よりも大切にすること。

ひとりひとりの生きる、を大事にすること。

国や公よりも、個人の、ひととしての生きるを大切にすること。

それが戦争にあらがうちからになっていく。

 

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 ぷかぷかは昨年のワークショップで《みんなの生きる》をテーマに芝居を作りました。あらためて一人ひとりが大切にしている《生きる》が見えてきました。2月の発表会の舞台では、みんなの平凡な毎日が出てきました。それを「むっつり大王」はめちゃくちゃにします。むっつりの仮面がみるみる増えていき、「むっつり大王」を支えます。「むっつり大王」は戦争そのものです。

 舞台では空気を読まないぷかぷかのメンバーさんたちが、「むっつり大王」を退散させます。それを思いついたのはぷかぷかのメンバーさんと一緒にやるワークショップの中でした。これはとても大きな気づきでした。第二期ワークショップのいちばん大きな成果だったと思います。

 世の中が戦争に突き進む雰囲気になったとき、それは

 世の中の多くの人たちがこんな仮面をかぶったときの恐ろしさ、です。

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それを救うのはひょっとしたら彼らではないのか、という私たちの気づき。空気を読まない彼らは、こんな仮面はかぶらないのです。

 

ショーへーさんはワークショップの終わったあと、いつもお母さんに電話します。電話口で

♩おひさま〜が りんごの〜 はっぱをとおして ひ〜かる〜♩

って歌っているのを聞いて、なんだかとてもあたたかい気持ちになりました。この歌こそがむっつりの世界からみんなを救うのではないかと考えたのです。

 

 

 

 NHKとと姉ちゃん」見てください。

 

教えるものが教えられるものに教えられる

 今朝の朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一

 

 育てる、教えるという関係は、けっして一方通行の関係ではない。育てる者が育てられる者に育てられるという反転が、そこにはかならず起こる。育つなかで自分が失ってしまったものを、自分以外のものを育てる中で気づかされる。

 

 教えるものが教えられるものに教えられるという反転。私は障がいのある子ども達にいろいろ教える立場だったのですが、教えることよりも、人間として大事なことを教わることの方がはるかに多く、結果、ぷかぷかを立ち上げることになりました。ですから、彼らから教わったものは半端ではなかったと、今更ながらに思います。半端なものなら、ぷかぷかは、多分立ち上がりませんでした。

 地域の人たちからも、彼らに対して何かやってあげる、という関係にないのも、そもそもの始まりにおいて、彼らから大事なことをたくさん教わった、という関係があったからだと思います。そういうことがお店のあちこちに現れているのだろうと思います。そしてそのことをお客さんがどこかで感じているということ。

 

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  昨日の朝日新聞一面の「これからの民主主義(4) 政治に言葉を求めよう」はすばらしい記事でした。朝日新聞にもこんな人がいるんだと、ちょっと安心しました。

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《 民主主義は、意見を異にする者どうしが、それでも肩を組んで歩こうという仕組みのはずである。》

  ぷかぷかは「いろんな人がいることが社会の豊かさを作っているんだよ」ということをぷかぷかを街の中で作ることで実践してきました。

 民主主義は「意見の違う人がいることで社会の豊かさを作っていくシステム」だと思います。

 そのことが政権を担う側の人たちから壊されていっている気がします。

 「はぐらかし。根拠を欠く断言。口だけで実行の伴わない「丁寧な説明」。質問への悪態――。」

 昨日の朝日夕刊《素粒子》には

「気をつけよう、甘い言葉と……。書くのもはばかる低俗な言辞を選挙で繰り返した指導者あり。嘆かわしき分断」

 こんな時だからこそ、花森安治さんの「さて ぼくらは もう一度……錆(さ)びついている〈民主主義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め しっかり 組みたてる」ことを丁寧にやっていきたいと思うのです。

 

 

いい一日でした。

 今日はいい一日でした。

 朝6時半、まだ寝てるのにコンノさんから電話。特に用もなく、なんでこんな時間に電話してくるんだよ、とぶつぶつ言いながらも、用がなくてもこんな時間に電話してくれるコンノさんがやっぱりかわいくて、気を取り直してしゃきっと起きました。

 

 山の方は、毎日の階段登りのおかげで、実に快適なハイキング。この人には絶対に遅れまいとマークしていたツジさんは、今日は具合がいまいちだったのか、勝手に飛び出したりもせず、みんなの中に入って歩いていたので、ちょっと拍子抜け。

 いずれにしても余裕の山登りで、登りながら写真を53枚も撮りました。 

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  久しぶりに履いた登山靴も快適でした。るんるん気分の中で、久しぶりに冬の山に登ろうかなと思いました。厳冬期用の登山靴なので、冬山に行かないと損なのです。というわけで、帰ってからすぐに北海道の大雪山の冬のガイドを調べました。まずいことに冬の大雪山のケーブル終点から頂上まで6時間のガイド39,000円、スノーシューズ、アイゼン付き、というのを見つけてしまいました。これはほんとうにまずいですね。なんとかしないと、ほんとうに行くことになるでしょうね。

 冬の山に向けてわくわくしながら、今日撮った写真をアップ。みんなほんとうにがんばっていました。ニシマキさんは途中ばて気味になって何度か座り込んで両手を地面についていました。大丈夫かな、と心配していましたが、それでもなんとか頂上までがんばりました。いつもとちがう面を見た気がして、彼女を少し見直しましたね。

 

 写真をアップしたあと、買い物に。さすがにちょっと疲れたのか、足を引きずって歩きました。舞茸、ネギ、茄子、カブ、アンチョビ、アサリの缶詰、生クリームを買いました。

 土曜日はたいていおいしい豆腐屋の豆腐を買って、麻婆豆腐を作るのですが、今日は気分を変えて、栗原はるみさんのレシピにあった「ポテトグラタン」「カブと油揚げの煮物」、オリジナル「舞茸スープ」にしました。

 ポテトグラタンはホワイトソースではなく、生クリームで作ります。アンチョビとネギを入れて、これはおいしかったですね。子ども達がよく食べました。

 カブの煮物にはアサリを入れるところがミソですね。ぐっと奥行きのある味になりました。

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 ぷかぷかを立ち上げるとき、退職金を全部使い込んでしまい、家に一銭も入れなかったので(かみさんに「退職金どうしたの?」と言われるまで、家のことは全く忘れていました)、なんとなく家の中で居場所を失い、以来黙って晩ご飯を作ることにしています。ま、でも、料理は楽しいし、小さくなりながらも、いい時間過ごしています。

 

 今日は山でいい時間過ごし、晩ご飯作りでいい時間過ごし、ほんとうにいい一日でした。

 

明日はツジさんに置いて行かれないように

 明日はぷかぷかのメンバーさんたちと弘法山に登ります。そんなこともあって、今朝の階段上りは、ちょっとだけ気合いを入れて10階まで1分39秒でした。スタートのダッシュがききました。一緒にいくツジさんは、急斜面でも鼻歌を歌いながら登っていきます。明日はそんなツジさんに置いて行かれないようにがんばります。

 

 久しぶりの山登りで、ちょっとわくわくしています。山はいっとき人生そのものでした。アラスカの山に登るためにせっかく就職した会社を辞めてしまったり、そのおかげで、人生が全く変わりました。山をやってなかったら、多分全くちがう人生でしたね。山ってね、人を狂わせるほどの魅力を持っているのだと思います。山に感謝!です。

 

 明日は久しぶりに登山靴を履きます。登山靴は履いただけで昔の感覚が足からよみがえり、全身がわくわくします。体が覚えている感覚って、何年たっても消えないんですね。

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映画『不思議なクニの憲法』の中で、車いすの 安積 遊歩さんが

「障害者が普通に暮らせる街は、豊かな街だと思います。それが戦争になると、私たちは役に立たないですから、真っ先に殺されます。」

と、ぽろっと口にした言葉が印象に残っています。

 「私たちは真っ先に殺されます」 戦争の本質を突いた言葉だと思いました。

 戦争は私たちが長い時間かけて作り上げてきた豊かさを、根こそぎ破壊します。

 豊かな街、豊かな人生を目指すなら、戦争は絶対にやってはだめなのです。