タカサキきんこんかん

タカサキのキンコンカンの日々

大学はハラスメントの加害者であることに自覚がないのでしょうか?

 大学の教師によるハラスメントでひどく傷つき、その傷に今も苦しんでいる娘に、何ら責任をとろうとしてこなかった大学に先日質問状を書きました。

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その回答が昨日来ました。

 

高崎 明様

平成30年10月11日

女子美術大学 芸術学部長 橋本 弘安

拝啓 先日は、遠路本学までご足労いただきまして、ありがとうございました。

先ずは、頂戴いたしました質問状(平成 30 年 10 月 4 日付)につきまして、 回答させていただきます。

本学では、「ハラスメントの防止に関する規程」を設け、在籍する全学生、教 職員の基本的人権の保障、個人の尊厳の確保、男女平等の実現を図り、健全な環 境のもとで教育、研究、学習及び労働に専念できるよう努めており、教職員のハ ラスメントに対する意識向上を目的とした研修会や、メンタルケアに関する勉 強会等を実施し、ハラスメントのない大学づくりを徹底しております。

そして、これが徹底されないという事態が生じた場合には、大学として真摯に 対応するよう努めております。

高崎様からは、これまで、お嬢様のお気持ちに配慮されてハラスメント被害と しての訴えをされないと承っておりますが、大学として、本件に関する問題点に つき、精査する所存です。この精査にあたり、高崎様、お嬢様のお気持ちを尊重 した対応を取りたいと考えております。

なお、「償い」につきましての言及もありましたが、大学としては、お父様の ご意見のとおり単に授業料返還等金銭の問題ではないと理解しております。

また、桃様につきまして、お伝えすべきこととしましては、繰り返しになりま すが、大学として精査のうえ、報告をしたいと考えております。

最後に、高崎様からは、大学の回答をインターネットで公開するとのお考えが 示されておりますが、大学としては、桃様の心情を最も重要と考え、インターネ ットによる公開は、適切ではないと考えております。

頂戴いたしました質問状に対する本学としての回答は以上の通りでございま す。またこの機会を通して、本学教職員に対し、あらためて学生対応における心 配りの大切さについて指導してまいる所存でございます。

末筆ではありますが、桃様のご快復を心よりお祈り申し上げます。

敬具

 

 

 

 あきれた内容でしたので、また質問状を書きました。

 

質問状2

 1)今回、大学はハラスメントの加害者です。にもかかわらず、被害者への回答の文書に中に、ハラスメントの被害者に対する謝罪の言葉がひとこともないのはどうしてですか?大学はハラスメントの加害者であることの自覚がないのでしょうか?大学の見解をお聞かせください。

 

2)いただいた文中に【本学では「ハラスメント防止に関する規定」を設け…ハラスメントのない大学づくりを徹底しております。】とありますが、にもかかわらずハラスメントは起こりました。しかも教授という知識も経験も豊富な人間がハラスメントをやりました。どうしてこんなことが起こったのか大学の見解をお聞かせください。こんな教授を雇い、学生の前に立たせた大学の責任についてはどうでしょうか。大学の見解をお聞かせください。

 

3)【お父様の ご意見のとおり単に授業料返還等金銭の問題ではないと理解しております。】とありますが、 こちらは授業を受けるつもりで高い授業料を払いました。娘はうつを患い、苦しい中で尚も何とかがんばって学校へ行こうとしていました。その思いを、あろうことか心ない教授の言葉でへし折られ、学校へ行けなくなったのです。授業料は返還して当然です。それだけでなく、娘をひどく傷つけ、今なおその傷に苦しんでいる娘に誠意ある償いをするのは当然のことと考えます。前回の質問に書いた「授業料を返せばすむ、といったレベルの話ではありません」というのはそういう意味です。

 月並みな謝罪の言葉ではなく、傷ついた娘の心にしっかり届く言葉を考えるべきです。娘の心に届く言葉と誠意ある償い、大学としてどうするのか、見解をお聞かせください。

 

4)【高崎様からは、これまで、お嬢様のお気持ちに配慮されてハラスメント被害と しての訴えをされないと承っております 】とありますが、ハラスメント調査委員会に訴えを出さなかっただけで、ハラスメントがあったことは事実であり、そのために娘が学校へ行けなくなったことも事実です。その事実を知りながら、被害者へ謝罪の言葉一つ届けなかったのはどうしてですか?

 【これが徹底されないという事態が生じた場合には、大学として真摯に 対応するよう努めております。】と、ありますが、今回のハラスメントがあってから2年以上たちますが、大学から被害者への謝罪は全くありませんでした。文書にあった【真摯な対応】はウソですか?

 なぜ娘に対してハラスメントという犯罪を犯しながら、謝罪もしないのか、大学としての見解をお聞かせください。

 

5)【精査のうえ】とありますが、今から2年以上も前のハラスメントを調べるのでしょうか?ハラスメントが起きたとき、精査はしなかったのでしょうか?ハラスメントによって傷ついた生徒が学校に来られなくなる、というのは大変な事態だと思いますが、そういう認識はなかったのでしょうか?大学としての見解をお聞かせください。

 

 

★前回出した質問も今回の質問も、今回のハラスメントに関し、被害者がどう思っているか、何を求めているのか、をわかりやすく具体的にまとめたものです。質問の一つ一つに丁寧に答えることが、【大学として真摯に対応する】ことだと思います。前回は三つ、今回は五つの質問を出しています。その一つ一つにきちんと答えてください。誠意ある回答を期待しています。

 

 

 

 

無責任な大学への質問状

 うつのため、なかなか大学に行けなかった娘が、それでもがんばって学校に行こうと前に踏み出したその矢先に担当教授から

「休んでばかりいるなら、もう学校をやめた方がいい」

などとひどいことを言われ、以来学校に行けなくなりました。

 ちょっとひどすぎるのじゃないかと大学に抗議。大学にはハラスメント相談窓口があるのですが、ハラスメント調査委員会にかけるには、被害者の申し出が必要で、聞き取りをしなければならないとか、とにかく動けない娘には負担が大きすぎると思い、調査委員会への申請はやめました。申請をやめたことでハラスメントはなかったことにされたのかどうか、その後、学校からは何の連絡もありませんでした。

 大学の休学も4年になり、これ以上休学しても

「復学は無理」

と本人がいい、退学の話をしに行きました。学校の廊下にハラスメントのポスターが貼ってありました。

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 「なんだ、これ」って思いました。ここに書いてあることをまさに学校は娘にやったのです。問題が何も解決してないのにこんなポスターを貼り出す神経がわかりません。

 退学届を出す前に、この問題のけりをつけようと、教務の責任者と話をしました。申し訳ありません、というばかりで、一向にらちがあかないので、問題を明確にするために質問状を出し、文書による回答を要求しました。

 

 

1)廊下に貼ってあったハラスメントに関するポスターには驚きました。

 ポスターの中程、色の変わった部分。

 「ハラスメントという行為は、力関係の上位にある者が……」を、そのまま娘に対してやったのですよ。そのために娘は今も苦しんでいます

 それに対して何の責任も取らないままこんなポスターを貼ることはあまりにも無責任であり、学生達を欺いていることになりませんか?大学が学生を欺くなんて、ひどすぎませんか?知性の集合体である大学がこんなことやって恥ずかしくないのですか?

 大学としての見解を書いて下さい。

 

2)教授による常識外れの言動で深く傷つくことがなければ、娘はひょっとしたら何とかがんばって学校に行って勉強ができたかも知れません。事実、行くつもりで授業料も納めていました。学校へ行けていれば、全く違う人生があったはずです。創作に励む若い生き生きとした人生です。それを教授の心ないひとことですべて失いました。

 うつ病を抱えて苦しい中、何とかがんばっていこうと出かけた矢先に、あろう事か教授によってその思いをへし折られたのです。そのために一番いいときの人生を失ったのです。

その償いをどうやってしますか?授業料を返せばすむ、といったレベルの話ではありません。失った若い人生への償いです。

 

3)先日母親が、今もあの時の教授の常識外れのひどい言葉が頭の中でフラッシュバックしてとても辛い思いをしている、と涙ながらに語っていました(娘と一緒に面談に出かけた際、面談の席で教授からひどい言葉を浴びました)。当事者の娘は自分に向けられた言葉だったので、もっとひどく傷つき、今も母親以上に辛い思いをしています。

 ハラスメントの被害者は、受けた傷をずっと背負ったまま生きているのです。傷は時々爆発を引き起こし、家の中が修羅場になります。心が寛ぐはずの家の中が修羅場になるのです。想像できますか?

 いつになったらその傷が癒えるのか、全く先が見えません。母親は心労のあまり、鬱状態になり、一時仕事に行けなくなりました。

 教授の非常識な言葉によるハラスメントの被害は、当事者だけでなく、このように家族にまで広がるのです。

 こういった事態を引き起こしたことに対し、大学はどのように責任をとりますか?どのように償いますか?

 今も苦しむ娘にどのような言葉を届けますか?

娘が退院      (よりそい日記−5)

 うつ病の状態がひどくなり、精神科の病院に入院した娘が退院しました。ちょうど2ヶ月です。

 病院を出るとき、年配の女性が娘の手をとって

「ももちゃん、ありがとうね、ありがとうね、元気でね、元気でね」

と何度も何度もいい、涙まで流していました。

 ああ、そういうおつきあいが病院にはあったんだと思いました。

 生きづらさを抱えながらも、孤立無援でやってきた人たちが、ようやくここに来て、その生きづらさを共有できる人たちに出会えたのだろうと思います。生きづらさを抱えた人たちだからこそ、お互いわかり合える喜び。

 病棟のエレベーターの前には5,6人の人たちが見送りに来ていました。帰りの車の中で娘は大粒の涙を流していました。

 

 2週間前、2泊3日で帰宅したときは、初日は今までにないくらい調子がよかったのですが、2日目、町田の人混みの中で買い物をして疲れ切ってしまい、調子を崩しました。家に帰ってからがずっと攻撃的な言動が続き、こんな状態で退院して大丈夫だろうかと不安になり、病院に電話しました。

 二日後に主治医、看護師、本人、両親の面談の場を設けてくれました。

 本人は泣きながら家での様子を話したようでした。両親に対して申し訳ないことをした、と。

 主治医が説明してくれました。

 本人は情報の処理がうまくできない、そのことを自分でうまく表現できない、言葉化がうまくできない、光、音、接触について、人よりもものすごく敏感、そういったことが積み重なって、いちばん甘えたい両親に向かって攻撃的な態度になってしまう、本人は病院に帰ってくると、そのことを客観的に見ることができるようになり、泣きながら反省している…

 鬱状態は確かにあるが、今話したような本人の生きづらさに丁寧に向き合うことが大切、といわれました。

 娘はそういう生きづらさをずっと抱えて生きてきたんだと、初めて気がつきました。娘に対し、気づいてあげられなくて、本当に申し訳なかったと思いました。

 昨年11月にうつ病に対して的確な診断をしてくれるという大学病院に1週間検査入院しました。そのときの検査結果を見て、娘はすごく納得することがあった、といっていたのですが、そのことの意味が私にはよくわかりませんでした。娘にしてみれば、ずっと抱えてきた生きづらさの原因がようやくわかった、ということだったのだと思います。ただいろいろ問題を掘り起こしながら、ではこの先どうしたらいいのか、というところでは、服薬の調整とデイケアサービスなどの利用、といったことぐらいしか書いてありませんでした。本人がいちばん困っていることに対して、大学病院たるものがこの程度のことしか書かないのか、とガッカリしました。重度の鬱状態は一生続く、といった希望を断ち切るようなことも書いてあって、その感覚を疑いしました。

 それに比べて、今回入院した病院は、本気で娘の困っていることに向き合い、どうしたらいいかの提案を具体的にしてくれました。

 その提案を丁寧に説明したプリントも渡されました。本人はこの2ヶ月、すごくがんばった。そのがんばりを認め、長い目で見守って欲しい。困ったことがあればすぐに病院に相談して欲しい。といったことが書いてありました。

 退院後の日々を見守ってくれる訪問看護ステーションも紹介してくれました。精神科の看護に習熟した看護師さんが時々家を訪問し、本人の様子、薬のチェック、困ったことはないか、などを主治医の指示書を元にやってくれるそうです。

 退院後、どういう毎日を送るか、本人にスケジュールを書かせていました。やりたいことの半分だけ書きましょう、やりたいことを全部書いてしまうと、自分をつぶしてしまいます、ということで書いたそうです。午前ひとつ、午後ひとつ、といったゆるいスケジュールです。みどりスポーツセンター、庭の手入れ、掃除、洗濯などが書かれ、その中に「父親の手伝い」というのがありました。どういうことか聞いてみたら、ぷかぷかに行って手伝いをする、というのです。

 これはうれしかったですね。ぷかぷかのこと、忘れずにいたんだ、って。以前から、ぷかぷかに来たら、ということは言っていたのですが、私が言うとかえって反発してだめでした。それを今回自分から「父親の手伝い」という表現で、自分の思いを表明してくれたのです。

 主治医も看護師さんも、自分から書くのを待ちましょう、とずっと前から言ってくれてました。

 

 社会に復帰するには、まだまだ時間がかかりそうです。気長によりそっていこうと思っています。

 そうそう、退院の日の午前中、娘がリクエストした映画をみんなで見たそうです。(ここの病院は、そういう時間があるようです) 映画のタイトルは『夜は短し歩けよ乙女』。森見登美彦の初期ベストセラー作品を映画化したもののようですが、さっそく本を注文しました。娘に追いつくために。

ふろふきの食べ方。

 長田弘さんの詩集『食卓一期一会』に入っている「ふろふきの食べ方」という詩が好きで、この詩を朗読するワークショップを、昔あちこちでやりました。

 一番最初にやったのは町田養護学校の教員向けのワークショップ。教員達にもっと自由になって欲しいと思い、詩の朗読ワークショップを企画しました。今ぷかぷかのアートディレクターをやっている金子さんとは、この時のワークショップで知り合いました。

 詩を朗読する、というたったそれだけのワークショップですが、なんかふっと自由になれて、ふっといつもと違う世界が見える瞬間がワークショップにはあります。そのことを教員達と共有できたように思います。その経験を元に、あちこちで詩の朗読をするワークショップをやるようになりました。四国で行われた全国ボランティア研究集会でやったときは、ものすごい盛り上がりで、ステージで発表会をするほどでした。

 詩を朗読する、というたったそれだけのことが、人の背中を押し、人を大きく前に押し進めるのです。

 

 言葉を声に出して読む。声を出して、言葉にふれる。声を出すと、言葉の感触が、いつもとちがう。

 詩を、誰かに向かって読む。誰かに向かって読むことは、誰かに向かって自分の思いを届けること。そのとき、言葉がむくむくと生きはじめる。

 言葉が生きはじめる瞬間を、抱きしめるようにからだに記憶しよう。

 立って読む。座って読む。歩きながら読む。何かにもたれかかって読む。寝っ転がって読む。

 あなたは、誰に向かって読む?

 

 

 ふろふきの食べ方

                          長田弘

 自分の手で、自分の

 一日をつかむ。

 新鮮な一日をつかむんだ。

 スが入っていない一日だ。

 手に持ってゆったりと重い

 いい大根のような一日がいい。

 

 それから、確かな包丁で

 一日をざっくりと厚く切るんだ。

 日の皮はくるりと剥いて

 面取りをして、そして一日の

 見えない部分に隠し刃をする。

 火通りをよくしてやるんだ。

 

 そうして深い鍋に放りこむ。

 底に夢をしいておいて、

 冷たい水をかぶるくらい差して、

 弱火でコトコト煮込んでゆく。

 自分の一日をやわらかに

 静かに熱く煮込んでゆくんだ。

 

 こころ寒い時代だからなあ。

 自分の手で、自分の

 一日をふろふきにして

 熱く香ばしくして食べたいんだ。

 熱い器でゆず味噌で

 ふうふういって。

 

 

 

手に持ってゆったりと重い大根を買ったので、今日はふろふきにしようかなと思っています。自分の一日も一緒に。

 

機会があればこの詩をみんなで読むようなワークショップをやりましょう。声をかけていただければ、出かけていきますよ。

 

 

 

「生き辛さ」を抱えたところでの接点     (寄り添い日記−4)

 娘の外出につきあいました。なんと中山駅前にある美容院を予約したとかで、大急ぎで美容院に向かいました。小田急線、横浜線と乗り継いで40分ちょっとあります。電車の中でいろいろ話をしました。

 昨日紹介した絵は2枚とも退院していった人たちの絵で、仲良くしてくれたお礼に描いたそうです。

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 この人は二人部屋で一緒だった人です。引っ込み思案の娘を引っ張り出してみんなに紹介してくれたりしたそうで、病院生活にスムーズに入れたのもこの方のおかげだとすごい感謝しているようでした。

 最初は閉鎖病棟に入院してたというので、それなりに症状がひどかったのだと思います。徐々に落ち着いて、今の開放病棟に変わり、娘と同じ部屋になったようですが、お互い「生き辛さ」を抱えたところでの接点があったのでしょうか、すごく話が弾んだようです。こういう場所での出会いは、私たちの日常よりもはるかに深い出会いがあるのではないかと思いました。この絵は二人の出会いを物語っているように思います。

 わずか一ヶ月に満たないおつきあいでしたが、それでも相手に対してこんなに思いをこめた絵が描けたこと、それは病院の治療を超えるものだった気がします。うつ病を発症して以来、人に対してほとんど閉じた生活をしていました。ここまで思いを込められる人がいませんでした。

 半ば人生をあきらめるような辛さもある中での入院でした。娘にとっては明るい展望の見える入院ではありませんでした。にもかかわらず、こんな思いもよらない素敵な出会いがあったのです。

 ぎりぎりまで追い込まれた人間同士だからこその出会い。「生き辛さ」をいやというほど経験したからこその出会い。娘にとっては、もういっぺん生き直すきっかけになったくらいの出会いだったのではないかと思います。

 相手の方は感激して携帯の待ち受け画面に使っていると聞きました。

 

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 こちらもよく話をした男性で、さわやかさあふれるいいお兄さんだったようです。娘がどんな風に見ていたか、痛いほど伝わってくる絵です。退院したあと、すごく落ち込んだといってました。ひょっとしたら青春をやっていたのかもと思いました。

 

 ま、いろんな話をしながら美容院へ。入院中で、どうして美容院なの?と思いましたが、いらんことをいうと、またもめそうなので黙ってついていいました。(昔、山から落っこちて大けがをして9ヶ月も入院したときは、理容師の学校の生徒がやってきて、ただでやってくれましたが…)

 待ってるつもりで美容院に一緒に入ったのですが、ものすごい場違いな感じで、すぐに出てきました。で、そこからは母親にバトンタッチ。

 美容院で2時間も使ってしまったので、大慌てで家まで帰り、ばたばたと病院に持っていく荷物をまとめていました。車で駅まで送っていったのですが、降り際、何度も握手してきて、ずいぶんやさしい気持ちになったなという気がしました。

絵を見ながらうるっと        (寄り添い日記−3)

 娘がぷかぷかスタッフのウオズミさんに絵を送ったようです。娘はウオズミさんがコーディネートした「ぷかぷかさんのお昼ごはん」のデザインがえらく気に入って、ことあるたびにウオズミさんのことを口にしていました。そのウオズミさんに自分の描いた絵を送ったようです。私にではなく、ウオズミさんに送ったところが、ま、娘らしいところ。

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 先日病院に持って行ったスケッチブックに描いたようです。淡い色の出るマーカーを使って描いています。

 ようやく絵を描く気分になったかと、絵を見ながらうるっときました。

 絵はすごく元気です。娘の気持ちがそのままでているようで、すごくうれしいです。

 まだまだ油断はできませんが、少しずつ前に進んでいるようです。

 明日外出につきあう予定です。なんと外出で家まで帰ると言ってます。家に帰ると、今度は病院に帰るのがいやになるのではないかと心配しています。保護者と一緒だと外出は3時間。病院は川崎なので、家に帰って、すぐまた出かけることになりそうです。

 それでもちょっとうきうきしています。

 

ポロッと涙がこぼれ         (寄り添い日記ー2)

 先日の朝日新聞の「折々のことば」で紹介されていた言葉。

 

《もしかしたら、今の状況は、人生をより楽しくするためのものなのかもしれない》

 

 そんなふうに今の日々を受け止められたら、と思っています。苦労することは、そのまま自分の財産になりますから。

 

 娘のうつ病がだんだんひどくなり、この半年くらいは、思うように体が動かないストレスからか、私や母親に対して毎日のように攻撃的な言葉が出てきて、本当に参りました。

 攻撃的な言葉を吐かざるを得ないところまで追い込まれた娘の状態がストレートに見えてきます。攻撃的なひどい言葉はそのまま娘の辛さだろうと思うと、ほんとに涙が出てきそうでした。

 毎日人間が試されているような、緊張感ある日々でした。

 そんなぎりぎりのところでの入院。

 

 入院中の娘から

「スケッチブックと画材持ってきて」

というLINEが入り、先日それを持って病院まで行ってきました。

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 学校に行きたくても体が動かない状態がずっと続いて、こういう画材も全部部屋から廊下に投げ出しました。娘の絶望感が見えた気がして、なんとも悲しい、やりきれない思いでした。

 そんな中で2,3日前、娘から「スケッチブックと画材が欲しい」というLINEを見たときは、うれしかったですねぇ。もう飛び上がりたいほどの気持ち。

 病院の生活が落ち着いてきて、絵を思い出したのかなぁ、と思いました。

 これは高校生の時に描いた絵です。こんな絵を数え切れないくらい毎日描いていました。

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 スケッチブックと画材が、かつての感覚をまた思い出させてくれれば、と思いました。

 このサインペンは大学1年生の頃、せっせと町田の画材屋世界堂に通って買い集めたものです。淡い色のサインペンで、微妙なグラデーションの絵を描いていました。数はこれの3倍くらいあるのですが、いっぺんに持って行くと、本人にとっては負担になるかもと思い、ペンケースに入るだけにしました。

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 病院に行った直後は、入院前のようななんとなくすっきりしない雰囲気ではじまりました。それでも外に買い物に出かけ、ウロウロ歩き回っているうちにだんだん気分を快復し、買い物が終わる頃には笑い声がでました。

 一緒にごはん食べながら、病院のごはんまずいんだよね、栄養士の感覚がわからない、と笑いながら話し、安心しました。「ごはんの会」にも申し込んでみようかなといってました。これは退院後の社会復帰を視野に入れながらみんなでごはん作りをするプログラムで、入院した頃はこんなの絶対に入らないといっていたので、少し娘の中で変わってきたものがあったのだと思います。

 今日は買い物のために一駅電車に乗りましたが、次来るときは病院の近くの河川敷が気持ちいいから、そこを歩こう、と言ってました。私と一緒に歩こう、なんて言ってくれたのはほんとうに久しぶりです。

 入院前、調子が悪くて家にこもっていたときに、健康のために無理矢理一緒に散歩に出かけたのですが、もう二度と行かない、と怒っていました。

 そのことを思うと、一緒に河川敷を歩こう、っていってくれたのは、大変な変化です。病院の近くのしゃれた喫茶店にも行こうっていってました。

 面会の時間が終わって、帰りがけ、エレベーターの前で「じゃあね」って、別れたとき、娘の目から涙がポロッとこぼれ、「あ、そんな気持ちになったんだ」とうれしくて、かわいそうで、抱きしめてやりたいような気持ちでした。

 少しずつ、少しずつ自分を取り戻しているのかな、と思いました。