タカサキきんこんかん

タカサキのキンコンカンの日々

ハマのドン

『ハマのドン』見てきました。自分の生き方を貫いたハマの親分。横浜の港を、汗を流して作ってきた港湾労働者の人達に対するリスペクト。いい人生を見せてくれます。ハマのドンと一緒に闘った市民たちもすばらしい。

hama-don.jp

佐高信さんが映画の監督とハマのドンこと藤木幸夫さんの魅力を存分に語ります。

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レンチン食品はガスコンロ調理より二酸化炭素(CO2)排出量は約70%、水の使用量は約95%削減

レンジでチンするだけの料理は「ガスコンロ調理より二酸化炭素(CO2)排出量は約70%、水の使用量は約95%削減できる」とあって、ちょっとびっくり。

www.tokyo-np.co.jp

 そのびっくりを書いて送ったら先日東京新聞の投書欄に載りました。

 ガス代も値上がりしているので、とても意味のある商品だと思うのですが、問題は商品の値段が高いこと。ま、何をとるかですね。

 

なんと74歳に

 2023年4月30日、なんと74歳になりました。かなりじーさんですが、まだ元気です。このところ腰を痛め、2週間ほどおとなしくしていますが、以前は毎朝、スクワット100回やったあとマンションの階段を10階まで180段を駆け上っていました。最近の一番いい記録は1分29秒。天気のいい日はサイクリング車で「ぷかぷか」まで15キロほどアップダウンの多い道を走ります。かなり必死にならないと登れない坂が行きも帰りもあって、いいトレーニングです。連休明けくらいには復活させようと思っています。

          

 

 2010年にスタートした「ぷかぷか」も今年で13年目。運営の仕事はすべて人に任せているので〔何か問題があった時に相談に乗るくらい〕、毎日うろうろ歩き回って写真撮ったり、ぷかぷかさんとどうでもいい話をしたり、「ぷかぷか日記」というブログを書いたりの日々。障がいのある人たちの生きやすい社会を作っていくことを目標にしたブログです。2500本くらい書いています。

 今までにない新しい価値を見つけたと思っています。中でも障がいのある人達は支援とか、何かやってあげないとだめな人達ではなく、そのままで社会を豊かにする存在なんだという気づきは今までにない新しい価値だと思います。みんながそんな風に思うようになれば、社会はもっと生きやすいものになると思います。

 

  

 今日は誕生日なので、オペラシアターこんにゃく座がオペラ『森は生きている』のチケットをプレゼントしてくれました。

    

 何度見てもいい作品です。

♪マツユキソウが咲いた 12の月の贈り物…

の歌のところは何度見ても涙が出てきます。

 機会があればこのオペラ、子どもたちにプレゼントしようかと思っています。『ロはロボットのロ』は3回もプレゼントしました。

 

 

 精神を病んでいる娘、半年ほど前からボクシングジムに通い始め、たまっていたエネルギーが発散できるせいか、最近はすごく調子よくて、家の中が平和です。ようやく青春を楽しんでいるようです。

 病院でもらう薬ではなく、ボクシングで元気になった、というところがおもしろいですね。家族会でも紹介し、主治医もびっくりしていました。

 

 

 映画『荒野に希望の灯をともす」

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の監督が、大倉山ドキュメンタリー映画祭での上映会のあと、中村さんは『花と龍』の玉井金五郎の生き方に憧れていたようです、といった話をされていて、早速図書館で『花と龍』上、下を借りて読みました。すんごくおもしろかったです。

            

 あとがきで初めて知ったのですが、作者火野葦平のお父さんとお母さん、それと自分の実話なんですね。こんな生き方をした人がいたんだと、なんかじ〜んと来ましたね。超おすすめです。ぜひ!ちなみに火野葦平さんは中村哲さんのおじさんにあたる人だとか。

 

 さてこの先、どんな人生が待っているのか、楽しみです。

 

 

 

出発まであと十日あまり

「出て行け!」

といきなり怒鳴り声が飛んできた。今日は調子悪いなと思う。何言っても収まりそうにないので、要求どおり家を出て、今、喫茶店でこれを書いている。

 娘は精神を病んでいる。パーソナリティ障害、うつ、軽度発達障害。大学の時うつを発症して全く学校へ行けなくなった。その後、パーソナリティ障害の診断が出て、だんだん状態が悪くなっている。

 自分で感情がコントロールできない。優しい気持ちになろうと思っていても、正反対の言葉が飛び出して、まわりとの関係がぐしゃぐしゃになってしまうと泣きながら語ったことがある。

 病院に行っても自分の症状をうまく説明できない、買い物もうまくできない、もう生きていけない!とさめざめと泣いてしまうこともある。

 説明なんかできなくったっていいじゃん、困ったときは誰かに助けを求めればいい、そうやって生きている人はいっぱいいる。なんていっても、何の慰めにもならない。それでも、それを言い続けるしかない。

 苦労は人生を鍛える。生きることに厚みが出る。それは娘の症状がひどくなり、毎晩のように格闘し、思うことだ。いつか娘もそのことに気づいてくれれば、と思う。今の苦労は、人生に厚みをつけてくれているんだ、と。なんの苦労もない人生なんて、平板で、おもしろくもなんともない。

 

 半月ほど前から突然北海道のデザイン学校に行きたいといいだした。調子の悪い日が続いているので、そんなの「無理!」といっているのだが、収まらないので、うつを発症して以来お世話になっている三宅先生に相談に行こう、と提案。今の症状がわかれば三宅先生も、やめた方がいい、というに違いないと期待したのだった。

 案の定、受診した際、娘の状態を聞いて、ちょっと入院して休息した方がいい、とアドバイスしてくれたのだが、娘は「いや!」の一点張り。「じゃ、何がしたいの?」「デザイン学校に行きたい」と、おもむろに鞄から学校のパンフレットを出し、三宅先生に見せる。ちょうど8月22日に見学日が設定されていて、それに行きたい、と娘。「そうか、わかった、じゃ、行ってきたら」と先生。私に小声で「何もかも否定していたら前に進まないので、とりあえず行くだけ行ってみたら」

 上機嫌になった娘、いろいろ相談に乗ってもらっている生活支援センターのキノシタさんにも会いたいという。そのキノシタさん、「素晴らしい!こんなに自分のやりたいことを明確に言ったのは初めて。ぜひ行きなさい。応援するよ」

 と、予定が全くひっくり返ってしまった。

 ところがその夜からまた調子が悪くなり、旅行どころではない。飛行機の中で大暴れして、緊急着陸とかなったら、損害賠償で家が潰れてしまう。今まで二度ほど大暴れして警察を呼ぶ事態になったことがある。

 で、また三宅先生に相談。本人は調子悪くて受診できず、両親だけで相談。安定剤を朝と夕方飲んで、安定した一日を作る。薬はうまく利用して、いい一日を作るために使うようにすればいい。飛行機に乗る前にもきちんと薬を飲む習慣をつけておくといい…と、説得され、もう行くしかない。その日の夜に飛行機のチケット、ホテルを予約。

 

 母親だけだと心配なので、私もいっしょに行こうかと思っていたのだが、私がついて行くと余計に荒れるので、これは断念。

 出発まであと十日あまり。大きな大きな試練になりそう。

 

 2年前、入院した際に描いた絵。親しくしていた人が退院するときに描いたらしい。

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71歳になりました!

 4月30日、なんと71歳になりました。じいさんですね。じいさんですが、毎朝マンションの階段を10階まで駆け上っています。駆け上がる前にスクワット50回、もも上げ50回、腹筋50回、腕立て伏せ50回、腹筋ローラー30回をやった後、階段を駆け上がるので、結構大変です。

     今日のタイムは1分35秒でした。10階まで180段を一気に駆け上がります。今までの最高記録は1分29秒でした。歩いて登るのと10秒くらい違います。

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 昔、冬の富士山のカチンカチンに凍った氷壁で滑落事故を起こし、両足首の関節が飛び出すほどのひどい骨折をし、両足首が動きません。ですので、階段を上るのはいいのですが、下りがとても怖いです。足首の動かないスキー靴を履いて階段を下る時を想像すればわかると思います。で、下るときはいつも手すりをしっかり握って下りていたのですが、コロナウィルスの感染が怖いので手すりを使わずに下りる工夫をしました。壁で体を支えながら下りていたのですが、壁を触るのもなぁ、と思い、全くどこにも触らないで体のバランスだけで下りる練習をしました。ゆっくりですが、今はどこにも触らずになんとか下りています。ただやっぱりよたよたと不安定な姿勢で下りるので、10階あたりは下を見ると怖いです。
    

 この道具を使うと、全力疾走したみたいに体がカッと熱くなり、テンションが上がります。その勢いで階段を10階まで駆け上ります。

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 71歳は何もしなければ体力がどんどん落ちていくので、天気のいい日はサイクリング車で通勤しています。時間にして20分くらいで距離的にはたいしたことないのですが、アップダウンが激しく、いい運動になります。

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 71歳の記念イベントで、この自転車に乗って北海道の稚内から網走までオホーツク海の海岸沿いを走りたいなと思っています。稚内までは折りたたんで輪行バッグに入れて運びます。走る距離は約300キロくらいで、三日くらいかかります。途中はキャンプのつもりですが、テント、コンロ、鍋、シュラフなど、それなりの野営道具が結構重いので、どうしようかと思っています。

 どこかの宿泊施設より、テントの中で一人ローソク見つめながらぼんやりする方がいいなと思っています。でも、まぁ、年を考えれば夜は風呂に入ってゆっくり休む方がいいことはいいのですが…

 

 テキトー晩ご飯を毎日作っています。冷蔵庫にある材料で何を作るか、スーパーで目についた材料で何を作るか考えるのが楽しいです。いつも行き当たりばったりでテキトー極まりないのですが、料理している間は集中できて、すごく楽しいですね。テキトーな割には結構うまいです。昨日作った牛肉とゴボウの煮物は最近の中では一番のヒット作でしたね。牛肉は生活クラブの配達品、ゴボウは以前買ったものが冷蔵庫の奥にあるのを発見!

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 高齢の上、ぜんそくの持病があるので、コロナウィルスに感染するのがとても怖いです。毎日新聞に鼻にいるウィルスは喉の1万倍もいて、「鼻うがい」がいいという記事がありました。

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 で、早速アマゾンで「テルモシリジン」(3本で400円)を買い、毎日鼻うがいをやっています。最初、ちょっと痛いですが、すぐに慣れます。何よりも鼻が爽快になります。

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 71年の人生を振り返ると、ぷかぷかをはじめた60歳からの人生が、やはりおもしろかったですね。もちろん、それ以前の学校での人生もおもしろかったのですが、社会全体を相手にするぷかぷかの仕事は、緊張感も充実感も教員時代とは比較にならないくらいです。

 ここ2,3年で事業を引き継げる体制も整い、いつ私がいなくなっても大丈夫かなと思っています。

 この5月から新しい生活支援の事業所「でんばた」がスタートします。これも若いスタッフが事業の準備から申請手続きまですべてやってくれ、私は時々進捗状況を聞くだけでした。安心してみていられます。

 畑や田んぼをやるので、時々手伝いに行く予定です。陶芸もやる予定です。重度障害の人たちの作品は、今までにないおもしろいものができるのではないかと楽しみにしています。

 

 これからはもう少しのんびりした人生をやっていきたいと思いつつ、毎日階段を駆け上ったりしているので、およそのんびりとはほど遠いのですが、そういう矛盾を抱え込みながらも、のんびり、楽しくやっていきたいと思っています。

 もうここまで生きたらつまらないことはやめて、おもしろいことだけやる、そんな人生にしようと思っています。よろしくお願いします。

 

 

 

それでも我が娘

 今日の朝日歌壇

 

   障害を持つ娘との日々疲れ果て我が身も病んで

   それでも我が娘

 

 最後のひとこと、きっぱりと言い切るその思い、心にしみました。

 うちと全く一緒。日々、罵声をぶつけられ、ものが飛び、ものが壊れる。

 もう限界、と思いつつ、それでも踏みとどまることができるのは

 「それでも我が娘」という思い。

 

 たまたま同じ朝刊に石牟礼道子さんの歌集『空と海のあいだに』の紹介がありました。石牟礼道子さんのおばあさんは精神を病んでいたそうです。雪の降る夜、決まって家を飛び出し、探しに行くのは幼い石牟礼さんの役目だったそうです。雪道の先に見つけたおばあさんを抱きとめ、魂が入れ替わると思えるほど心を通わせた体験を歌に詠んでいます。

 

   雪の辻ふけてぼうぼうともりくる老婆とわれといれかはるなり

 

 後に書かれる『苦海浄土』は、聞き書きではなく、言葉さえ奪われた水俣病患者の苦しみを我がことのように苦しみ、その魂を身に宿らせるように書かれたものだった。その原点がおばあさんとのこういう体験だった、と。

 

 娘を抱きしめるわけにはいかないが、「それでも我が娘」と、もう少し頑張ってみようと思いました。

 

手足を失った子どもたちの未来を考えたことがあるのだろうか。

 『紛争地の看護師』という本を読みました。「国境なき医師団」に所属する看護師さんの、紛争地のまっただ中での活動の記録です。何も悪いことをしていないふつうの人たち、子どもたちが、武器という暴力で、どうしてこんなにも傷つかねばならないのか、辛い、やりきれない思いで読みました。

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 ある夜、血だらけになった子どもたち8人が運ばれてきます。筒状のおもしろい形をしたもので遊んでいたところ、突然爆発し、子どもたちの手足を吹き飛ばしたといいます。筒状のものは時限爆弾でした。

 朝まで子どもたちの手足の切断手術が続きます。片足だけの子、両足の子、手と足の子…

 

「みんなまだ麻酔から覚めずに寝ていた。

 彼らは自分たちの手や足がなくなってしまったことはまだ知らない。このまま起こしたくなかった。」

 

 これから先、彼らは何を思って生きていくのだろう。想像しただけで辛くなります。

 武器を作った大人たちは、手足を失った子どもたちの未来を考えたことがあるのだろうか。

 日本の首相は憲法をなんとしても変え、日本を戦争のできる国にしたがっている。戦争をすれば必ず犠牲者が出る。犠牲になる人たちがどんな風になるか、想像したことがあるのだろうか。手足を失い、目を失った子どもたちの人生を考えたことがあるだろうか。両親を失った小さな子どもの人生を考えたことがあるだろうか。

 この本には、そのリアルがある。辛くなるほどのリアル。

 

 暴力に満ちたこの世界にあって、私たちに何ができるのだろうと考える。まずできることは「国境なき医師団」に資金援助すること。更には、この日本が戦争を起こさないようにすること。

www.msf.or.jp