タカサキきんこんかん

タカサキのキンコンカンの日々

人間の暮らしは、なにものにも優先して、一番大事なもの

 水野スウさんのFacebook花森安治さんの言葉が載っていました。

 

7月16日のNHKとと姉ちゃん」より。

 

花山さん

「 …私は、戦争中、男には毎日の暮らしなどよりももっと大事なものがあると思いこんできた、思いこまされてきた。

しかしそんなものはなかったんだよ、毎日の暮らしを犠牲にしてまで、守って闘うものなど何もなかった。

人間の暮らしは、なにものにも優先して、一番大事なものなんだ。それは何者もおかしてはならない。たとえ戦争であっても。今ようやくわかった。


もし豊かな暮らしを取り戻すきっかけとなる雑誌をつくれるのなら。」

 

 

昭和20年10月、お茶の水ニコライ堂の下のちいさな喫茶店での、花森安治さんの言葉が、大橋鎮子著『「暮しの手帖」とわたし』にこのように記されています。

 

 …君はどんな本を作りたいか、まだ、ぼくは知らないが、一つ約束してほしいことがある。それはもう二度とこんな恐ろしい戦争をしないような世の中にしていくためのものを作りたいということだ。

 戦争は恐ろしい。なんでもない人たちを巻き込んで、末は死までに追い込んでしまう。戦争を反対しなくてはいけない。君はそのことがわかるか。

 君も知ってのとおり、国は軍国主義一色になり、誰もかれもが、なだれをうって戦争に突っこんでいったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしなかったからだと思う。もしみんなに、あったかい家庭があったなら、戦争にならなかったと思う。

 

 

自分の暮らし、毎日の暮らしを何よりも大切にすること。

ひとりひとりの生きる、を大事にすること。

国や公よりも、個人の、ひととしての生きるを大切にすること。

それが戦争にあらがうちからになっていく。

 

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 ぷかぷかは昨年のワークショップで《みんなの生きる》をテーマに芝居を作りました。あらためて一人ひとりが大切にしている《生きる》が見えてきました。2月の発表会の舞台では、みんなの平凡な毎日が出てきました。それを「むっつり大王」はめちゃくちゃにします。むっつりの仮面がみるみる増えていき、「むっつり大王」を支えます。「むっつり大王」は戦争そのものです。

 舞台では空気を読まないぷかぷかのメンバーさんたちが、「むっつり大王」を退散させます。それを思いついたのはぷかぷかのメンバーさんと一緒にやるワークショップの中でした。これはとても大きな気づきでした。第二期ワークショップのいちばん大きな成果だったと思います。

 世の中が戦争に突き進む雰囲気になったとき、それは

 世の中の多くの人たちがこんな仮面をかぶったときの恐ろしさ、です。

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それを救うのはひょっとしたら彼らではないのか、という私たちの気づき。空気を読まない彼らは、こんな仮面はかぶらないのです。

 

ショーへーさんはワークショップの終わったあと、いつもお母さんに電話します。電話口で

♩おひさま〜が りんごの〜 はっぱをとおして ひ〜かる〜♩

って歌っているのを聞いて、なんだかとてもあたたかい気持ちになりました。この歌こそがむっつりの世界からみんなを救うのではないかと考えたのです。

 

 

 

 NHKとと姉ちゃん」見てください。

 

教えるものが教えられるものに教えられる

 今朝の朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一

 

 育てる、教えるという関係は、けっして一方通行の関係ではない。育てる者が育てられる者に育てられるという反転が、そこにはかならず起こる。育つなかで自分が失ってしまったものを、自分以外のものを育てる中で気づかされる。

 

 教えるものが教えられるものに教えられるという反転。私は障がいのある子ども達にいろいろ教える立場だったのですが、教えることよりも、人間として大事なことを教わることの方がはるかに多く、結果、ぷかぷかを立ち上げることになりました。ですから、彼らから教わったものは半端ではなかったと、今更ながらに思います。半端なものなら、ぷかぷかは、多分立ち上がりませんでした。

 地域の人たちからも、彼らに対して何かやってあげる、という関係にないのも、そもそもの始まりにおいて、彼らから大事なことをたくさん教わった、という関係があったからだと思います。そういうことがお店のあちこちに現れているのだろうと思います。そしてそのことをお客さんがどこかで感じているということ。

 

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  昨日の朝日新聞一面の「これからの民主主義(4) 政治に言葉を求めよう」はすばらしい記事でした。朝日新聞にもこんな人がいるんだと、ちょっと安心しました。

digital.asahi.com

 

《 民主主義は、意見を異にする者どうしが、それでも肩を組んで歩こうという仕組みのはずである。》

  ぷかぷかは「いろんな人がいることが社会の豊かさを作っているんだよ」ということをぷかぷかを街の中で作ることで実践してきました。

 民主主義は「意見の違う人がいることで社会の豊かさを作っていくシステム」だと思います。

 そのことが政権を担う側の人たちから壊されていっている気がします。

 「はぐらかし。根拠を欠く断言。口だけで実行の伴わない「丁寧な説明」。質問への悪態――。」

 昨日の朝日夕刊《素粒子》には

「気をつけよう、甘い言葉と……。書くのもはばかる低俗な言辞を選挙で繰り返した指導者あり。嘆かわしき分断」

 こんな時だからこそ、花森安治さんの「さて ぼくらは もう一度……錆(さ)びついている〈民主主義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め しっかり 組みたてる」ことを丁寧にやっていきたいと思うのです。

 

 

いい一日でした。

 今日はいい一日でした。

 朝6時半、まだ寝てるのにコンノさんから電話。特に用もなく、なんでこんな時間に電話してくるんだよ、とぶつぶつ言いながらも、用がなくてもこんな時間に電話してくれるコンノさんがやっぱりかわいくて、気を取り直してしゃきっと起きました。

 

 山の方は、毎日の階段登りのおかげで、実に快適なハイキング。この人には絶対に遅れまいとマークしていたツジさんは、今日は具合がいまいちだったのか、勝手に飛び出したりもせず、みんなの中に入って歩いていたので、ちょっと拍子抜け。

 いずれにしても余裕の山登りで、登りながら写真を53枚も撮りました。 

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  久しぶりに履いた登山靴も快適でした。るんるん気分の中で、久しぶりに冬の山に登ろうかなと思いました。厳冬期用の登山靴なので、冬山に行かないと損なのです。というわけで、帰ってからすぐに北海道の大雪山の冬のガイドを調べました。まずいことに冬の大雪山のケーブル終点から頂上まで6時間のガイド39,000円、スノーシューズ、アイゼン付き、というのを見つけてしまいました。これはほんとうにまずいですね。なんとかしないと、ほんとうに行くことになるでしょうね。

 冬の山に向けてわくわくしながら、今日撮った写真をアップ。みんなほんとうにがんばっていました。ニシマキさんは途中ばて気味になって何度か座り込んで両手を地面についていました。大丈夫かな、と心配していましたが、それでもなんとか頂上までがんばりました。いつもとちがう面を見た気がして、彼女を少し見直しましたね。

 

 写真をアップしたあと、買い物に。さすがにちょっと疲れたのか、足を引きずって歩きました。舞茸、ネギ、茄子、カブ、アンチョビ、アサリの缶詰、生クリームを買いました。

 土曜日はたいていおいしい豆腐屋の豆腐を買って、麻婆豆腐を作るのですが、今日は気分を変えて、栗原はるみさんのレシピにあった「ポテトグラタン」「カブと油揚げの煮物」、オリジナル「舞茸スープ」にしました。

 ポテトグラタンはホワイトソースではなく、生クリームで作ります。アンチョビとネギを入れて、これはおいしかったですね。子ども達がよく食べました。

 カブの煮物にはアサリを入れるところがミソですね。ぐっと奥行きのある味になりました。

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 ぷかぷかを立ち上げるとき、退職金を全部使い込んでしまい、家に一銭も入れなかったので(かみさんに「退職金どうしたの?」と言われるまで、家のことは全く忘れていました)、なんとなく家の中で居場所を失い、以来黙って晩ご飯を作ることにしています。ま、でも、料理は楽しいし、小さくなりながらも、いい時間過ごしています。

 

 今日は山でいい時間過ごし、晩ご飯作りでいい時間過ごし、ほんとうにいい一日でした。

 

明日はツジさんに置いて行かれないように

 明日はぷかぷかのメンバーさんたちと弘法山に登ります。そんなこともあって、今朝の階段上りは、ちょっとだけ気合いを入れて10階まで1分39秒でした。スタートのダッシュがききました。一緒にいくツジさんは、急斜面でも鼻歌を歌いながら登っていきます。明日はそんなツジさんに置いて行かれないようにがんばります。

 

 久しぶりの山登りで、ちょっとわくわくしています。山はいっとき人生そのものでした。アラスカの山に登るためにせっかく就職した会社を辞めてしまったり、そのおかげで、人生が全く変わりました。山をやってなかったら、多分全くちがう人生でしたね。山ってね、人を狂わせるほどの魅力を持っているのだと思います。山に感謝!です。

 

 明日は久しぶりに登山靴を履きます。登山靴は履いただけで昔の感覚が足からよみがえり、全身がわくわくします。体が覚えている感覚って、何年たっても消えないんですね。

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映画『不思議なクニの憲法』の中で、車いすの 安積 遊歩さんが

「障害者が普通に暮らせる街は、豊かな街だと思います。それが戦争になると、私たちは役に立たないですから、真っ先に殺されます。」

と、ぽろっと口にした言葉が印象に残っています。

 「私たちは真っ先に殺されます」 戦争の本質を突いた言葉だと思いました。

 戦争は私たちが長い時間かけて作り上げてきた豊かさを、根こそぎ破壊します。

 豊かな街、豊かな人生を目指すなら、戦争は絶対にやってはだめなのです。

 

国民の幸福や豊かな未来のためにこそ働く人が首相に

 気ままに書くブログです。

 毎朝マンションの10階まで階段を登っています。ただ登るのではつまらないので、タイムを計っています。今日は1分40秒でした。100秒ですから、1階を10秒で登ります。階段の数は18段。1段0.55秒。かなりのスピードです。

 10階まで全部で180段。ずっと先まで180段見えていると、見ただけで疲れてしまいますが、マンションの階段は9段しか見えないので、なんとなく登れてしまいます。

 先週1分38秒を記録した日がありました。1階を9秒台で登ったのですから、ちょっといい気分でした。

 

 昨日の朝日新聞の一面「これからの民主主義」にこんなことが書いてありました。

 

 草案よりもむしろ首相がこだわるのは、「占領軍からの押しつけ」をはね返す「自主憲法制定」の6文字なのかも知れない。

 しかし、そんな首相の情念もまた、憲法によって国民は享受すべき幸福や利益にはなんの関係もない。

 

 全くその通りだと思いました。「自主憲法制定」は「悲願」である、という話をよく聞きますが、それはあくまで安倍首相個人の「悲願」であって、間違っても国民の「悲願」ではありません。ですから

 

 そんな首相の情念もまた、憲法によって国民は享受すべき幸福や利益にはなんの関係もない。

 

となるのです。それどころか大迷惑です。

 政治は国民の幸福や豊かな未来のためにあるはずですが、安倍政治からはそういうものが全く見えません。見えない、というのは頭の中にないということです。ですから「改憲」「改憲」といくら騒いでも、国民の幸福や豊かさにはなんの関係もないのです。

 どうして国民の幸福や豊かな未来のためにこそ働く人が首相にならないのでしょう?ここにこそ政治の貧困があるような気がします。

 

 昨日サービスグラント(プロボノ活動をやっているNPO)の説明会に行ってきたのですが、自分の仕事をやりながらも、社会貢献したい、社会をよくしたいと思う人がものすごくたくさんいることがよくわかりました。

 世の中はそういう方向へ動いているのに、政治の中枢だけは、ほんとうに絶望的にずれている気がします。

 

 今朝の朝刊にかわいい双子の赤ちゃんの写真が全面広告で載っていました。

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 見ているだけで幸せな気持ちになります。憲法改正をはかる政治家たちにぜひ見せたい写真です。