教えるものが教えられるものに教えられる
育てる、教えるという関係は、けっして一方通行の関係ではない。育てる者が育てられる者に育てられるという反転が、そこにはかならず起こる。育つなかで自分が失ってしまったものを、自分以外のものを育てる中で気づかされる。
教えるものが教えられるものに教えられるという反転。私は障がいのある子ども達にいろいろ教える立場だったのですが、教えることよりも、人間として大事なことを教わることの方がはるかに多く、結果、ぷかぷかを立ち上げることになりました。ですから、彼らから教わったものは半端ではなかったと、今更ながらに思います。半端なものなら、ぷかぷかは、多分立ち上がりませんでした。
地域の人たちからも、彼らに対して何かやってあげる、という関係にないのも、そもそもの始まりにおいて、彼らから大事なことをたくさん教わった、という関係があったからだと思います。そういうことがお店のあちこちに現れているのだろうと思います。そしてそのことをお客さんがどこかで感じているということ。
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昨日の朝日新聞一面の「これからの民主主義(4) 政治に言葉を求めよう」はすばらしい記事でした。朝日新聞にもこんな人がいるんだと、ちょっと安心しました。
《 民主主義は、意見を異にする者どうしが、それでも肩を組んで歩こうという仕組みのはずである。》
ぷかぷかは「いろんな人がいることが社会の豊かさを作っているんだよ」ということをぷかぷかを街の中で作ることで実践してきました。
民主主義は「意見の違う人がいることで社会の豊かさを作っていくシステム」だと思います。
そのことが政権を担う側の人たちから壊されていっている気がします。
「はぐらかし。根拠を欠く断言。口だけで実行の伴わない「丁寧な説明」。質問への悪態――。」
昨日の朝日夕刊《素粒子》には
「気をつけよう、甘い言葉と……。書くのもはばかる低俗な言辞を選挙で繰り返した指導者あり。嘆かわしき分断」
こんな時だからこそ、花森安治さんの「さて ぼくらは もう一度……錆(さ)びついている〈民主主義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め しっかり 組みたてる」ことを丁寧にやっていきたいと思うのです。