人として正直に生きたかったのではないか
「人として正直に生きたかったのではないか」
という投書が朝日新聞声の欄に載っていました。
決裁文書の改ざんをめぐって、腐りきった政治が次々とあらわになってきた中で、目の覚めるような言葉でした。
森友問題に関して文書の改ざんを命じられた現場の職員にとって、その命令に従うことは自分の良心が許さなかったのだろうと思います。
「私にはできません」
ときっぱり言い切ることのできない職場の中で、尚も人として正直に生きようとしたのだと思います。人として正直に生きることが、死を選ぶしかないような社会はゆがみきっています。
同じ紙面の「朝日川柳」
浅ましさ「佐川佐川」の安倍一座
このゆがみきった社会の中で尚も、人として正直に生きようとした人がいたこと。そのことをしっかり記憶しておきたいと思うのです。