国民の幸福や豊かな未来のためにこそ働く人が首相に
気ままに書くブログです。
毎朝マンションの10階まで階段を登っています。ただ登るのではつまらないので、タイムを計っています。今日は1分40秒でした。100秒ですから、1階を10秒で登ります。階段の数は18段。1段0.55秒。かなりのスピードです。
10階まで全部で180段。ずっと先まで180段見えていると、見ただけで疲れてしまいますが、マンションの階段は9段しか見えないので、なんとなく登れてしまいます。
先週1分38秒を記録した日がありました。1階を9秒台で登ったのですから、ちょっといい気分でした。
昨日の朝日新聞の一面「これからの民主主義」にこんなことが書いてありました。
草案よりもむしろ首相がこだわるのは、「占領軍からの押しつけ」をはね返す「自主憲法制定」の6文字なのかも知れない。
しかし、そんな首相の情念もまた、憲法によって国民は享受すべき幸福や利益にはなんの関係もない。
全くその通りだと思いました。「自主憲法制定」は「悲願」である、という話をよく聞きますが、それはあくまで安倍首相個人の「悲願」であって、間違っても国民の「悲願」ではありません。ですから
そんな首相の情念もまた、憲法によって国民は享受すべき幸福や利益にはなんの関係もない。
となるのです。それどころか大迷惑です。
政治は国民の幸福や豊かな未来のためにあるはずですが、安倍政治からはそういうものが全く見えません。見えない、というのは頭の中にないということです。ですから「改憲」「改憲」といくら騒いでも、国民の幸福や豊かさにはなんの関係もないのです。
どうして国民の幸福や豊かな未来のためにこそ働く人が首相にならないのでしょう?ここにこそ政治の貧困があるような気がします。
昨日サービスグラント(プロボノ活動をやっているNPO)の説明会に行ってきたのですが、自分の仕事をやりながらも、社会貢献したい、社会をよくしたいと思う人がものすごくたくさんいることがよくわかりました。
世の中はそういう方向へ動いているのに、政治の中枢だけは、ほんとうに絶望的にずれている気がします。
今朝の朝刊にかわいい双子の赤ちゃんの写真が全面広告で載っていました。
見ているだけで幸せな気持ちになります。憲法改正をはかる政治家たちにぜひ見せたい写真です。