タカサキきんこんかん

タカサキのキンコンカンの日々

ポロッと涙がこぼれ         (寄り添い日記ー2)

 先日の朝日新聞の「折々のことば」で紹介されていた言葉。

 

《もしかしたら、今の状況は、人生をより楽しくするためのものなのかもしれない》

 

 そんなふうに今の日々を受け止められたら、と思っています。苦労することは、そのまま自分の財産になりますから。

 

 娘のうつ病がだんだんひどくなり、この半年くらいは、思うように体が動かないストレスからか、私や母親に対して毎日のように攻撃的な言葉が出てきて、本当に参りました。

 攻撃的な言葉を吐かざるを得ないところまで追い込まれた娘の状態がストレートに見えてきます。攻撃的なひどい言葉はそのまま娘の辛さだろうと思うと、ほんとに涙が出てきそうでした。

 毎日人間が試されているような、緊張感ある日々でした。

 そんなぎりぎりのところでの入院。

 

 入院中の娘から

「スケッチブックと画材持ってきて」

というLINEが入り、先日それを持って病院まで行ってきました。

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 学校に行きたくても体が動かない状態がずっと続いて、こういう画材も全部部屋から廊下に投げ出しました。娘の絶望感が見えた気がして、なんとも悲しい、やりきれない思いでした。

 そんな中で2,3日前、娘から「スケッチブックと画材が欲しい」というLINEを見たときは、うれしかったですねぇ。もう飛び上がりたいほどの気持ち。

 病院の生活が落ち着いてきて、絵を思い出したのかなぁ、と思いました。

 これは高校生の時に描いた絵です。こんな絵を数え切れないくらい毎日描いていました。

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 スケッチブックと画材が、かつての感覚をまた思い出させてくれれば、と思いました。

 このサインペンは大学1年生の頃、せっせと町田の画材屋世界堂に通って買い集めたものです。淡い色のサインペンで、微妙なグラデーションの絵を描いていました。数はこれの3倍くらいあるのですが、いっぺんに持って行くと、本人にとっては負担になるかもと思い、ペンケースに入るだけにしました。

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 病院に行った直後は、入院前のようななんとなくすっきりしない雰囲気ではじまりました。それでも外に買い物に出かけ、ウロウロ歩き回っているうちにだんだん気分を快復し、買い物が終わる頃には笑い声がでました。

 一緒にごはん食べながら、病院のごはんまずいんだよね、栄養士の感覚がわからない、と笑いながら話し、安心しました。「ごはんの会」にも申し込んでみようかなといってました。これは退院後の社会復帰を視野に入れながらみんなでごはん作りをするプログラムで、入院した頃はこんなの絶対に入らないといっていたので、少し娘の中で変わってきたものがあったのだと思います。

 今日は買い物のために一駅電車に乗りましたが、次来るときは病院の近くの河川敷が気持ちいいから、そこを歩こう、と言ってました。私と一緒に歩こう、なんて言ってくれたのはほんとうに久しぶりです。

 入院前、調子が悪くて家にこもっていたときに、健康のために無理矢理一緒に散歩に出かけたのですが、もう二度と行かない、と怒っていました。

 そのことを思うと、一緒に河川敷を歩こう、っていってくれたのは、大変な変化です。病院の近くのしゃれた喫茶店にも行こうっていってました。

 面会の時間が終わって、帰りがけ、エレベーターの前で「じゃあね」って、別れたとき、娘の目から涙がポロッとこぼれ、「あ、そんな気持ちになったんだ」とうれしくて、かわいそうで、抱きしめてやりたいような気持ちでした。

 少しずつ、少しずつ自分を取り戻しているのかな、と思いました。

おだやかな表情        (寄り添い日記−1)

  二週間前、うつ病がひどくなって病院に入院した娘の見舞いに行ってきました。

 最近になくおだやかな表情だったので、ちょっと安心しました。今日はアロマの香りの中でリラクゼーションをやったり、ヨガをやったと楽しそうに話してくれました。

 うつ病を発症したのは大学1年の時。デザインの勉強がしたくて女子美術大学に入ったものの、1ヶ月くらいで全く学校に行けなくなりました。いろいろ調べるとうつ病にあたる項目がたくさんあって、心療内科で治療がはじまりました。

 うつ病になると、学校に行きたい気持ちがあっても、体が動きません。うつ病は気分だけの病気ではなく、体が動かなくなる病気であることを初めて知りました。あれがやりたいこれがやりたいと思っていても、体が動かなくなるのです。体が動かないと、予定が立てられません。人生の計画、夢も立てられません。これはとてもきついことです。

 ゆっくり休んで薬を飲んでいれば回復すると思っていたのですが、そんな甘い病気ではありませんでした。結局大学には4年籍を置いていましたが、ほとんど行けませんでした。何とかがんばってやっとたどり着いた学校で、ずっと休んでいた授業の教員から、「やる気がないのか」などと心ない言葉を浴びせられ、ひどく傷つき、更に学校へ行けなくなったこともありました。この時はさすがに学校に抗議しましたが、傷ついた心は回復できません。

 毎年履修届だけは張り切ってやっていましたが、やっぱり一ヶ月くらいたつと行けなくなりました。後期のはじめだけはまたがんばっていこうとしていましたが、これも続きませんでした。そばで見ていても、病気がだんだんひどくなる感じでした。

 調子が悪くて寝込んでしまう日が増え、大好きなサッカーの試合(湘南ベルマーレの大ファン)にもチケットを買っていながら、体が動かなくて行けない日が続きました。メンタルクリニックにも予約した日に、やっぱり具合が悪くなってドタキャンする日が続きました。

 いよいよ追い込まれ、うつ病の治療に力を入れている病院に入院して治療することにしました。本人も納得の上とは言え、入院してしばらくはとても不安だったようで、「もう退院する!」とメッセージを送ってきたり、親しい心療内科の先生に電話して、泣きついたこともありました。

 それでも二週間たつと、同じ病気を抱えた方と話ができたり、生活が規則正しくなったり(家にいるときは体が思うように動かないため、とにかく生活のリズムがめちゃくちゃでした)、アロマの香りの中でリラックスする時間があったりで、少し自分を取り戻せたようでした。

 入院は2,3ヶ月と聞きました。それで快復するのかどうか、なんともわかりません。この先の人生もどうなるのか、計画が立てられないところが辛いところです。まだ若いだけに(22才)、これからの人生、どうなってしまうのか、とても不安がっています。その不安にどこまで寄り添えるのか、私にとっても大きな試練です。その試練の日々を時々書いていきたいと思います。

 

 昨日のおだやかな顔がこれからも続くことを祈っています。

 

 

 

でも凄いですよ!この年で面白くて止められない仕事があるなんて‼︎

 今朝アップした階段登りの話に、同い年の友人がこんな書き込みをしていました。

 

「お誕生日おめでとう🎉60代最後の年ですねー!いやはや、何といいましょうかね⁈私も7ヶ月後には、同い年ですけどね! でも凄いですよ!この年で面白くて止められない仕事があるなんて‼︎」

 

 「この年でおもしろくてやめられない仕事がある」というのはやはり幸せなことだと思います。61才でぷかぷかを始めるときの不安、経営が不安定で、ひょっとしたらもうだめかも、と思ったころの不安を思えば、今、こんなにもおもしろく仕事ができているのは、本当に幸せなことだと思います。

 そして今、そんな仕事があるのは、やはりぷかぷかさん達のおかげです。一人の人間の人生を支えるほどの仕事を彼らはしているのです。これって、すごいじゃない、と単純に思ったりするのです。

 彼らがそこにいる、ということ。そのことに意味があるのだと思います。

 

 たまたま見つけたブログに、彼らがいることで生まれた様々な物語を走り書きしていました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 彼らがそこにいることの意味を見つけ、形にしていくのは私たちの仕事です。今、その仕事がおもしろくてやめられないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは理屈ではなく、私の生き方

 60過ぎてからこんなに楽しい、活気ある人生が待っているとは予想もしませんでした。ぷかぷかを始めた当初は確かにしんどいことはいっぱいありました。それでもぷかぷかさんと一緒にいると、いつの間にか元気になって、なんとか乗り越えられたように思います。ピンチの時に一番支えてくれたのはぷかぷかさんだったのです。

 若い頃はそれほど感じませんでしたが、この年になると、今の人生、ぷかぷかさんなしにはあり得ないなぁとしみじみ感じます。彼らには感謝以外ありません。いい人生をありがとう!って。

 いつか人生を終えるとき、多分そんなふうに彼らに言うんだろうと思います。家族に対してとはちがう、もっとなんていうのか、自分の生き方に大きな影響を与えてくれたという意味で。

 彼らのそばにいて心安らぐだけじゃない、この社会にあって、人としてどう生きるのか、どうあるべきなのかを教えてもらった気がしています。相模原障害者殺傷事件に関していろいろ書けるのも、彼らとおつきあいし、彼らにいろいろ教わったからこそだと思います。

 どこまでも彼らの側に立つ、という生き方。彼らの側に立つことで、社会の構造が、具体的に見えてきました。人としての痛みを感じることができました。そして何よりも、そのことで人としてそこに立つことができたと思います。それが人生を豊かにしてくれました。

 障害者はちがう道を歩け、という人がいるなら、間違いなく私は彼らと一緒の道を歩きます。それは理屈ではなく、私の生き方なのです。 

  

誕生日プレゼントに赤いサイクリング車

  4月30日、タカサキはなんと69才になりました。

 冬の富士山で600メートルも滑落したり、胃がんになったりしながらも、よくぞここまで生きてきたと、ご褒美に丸石自転車のエンペラーツーリングマスターを買ってあげることにしました。

www.maruishi-cycle.com

 赤いサイクリング車です。今乗っている自転車(ツーリング用のサイクリング車)は40才になったとき、人生40周年記念で何かおもしろいことをやろうと、パキスタンの山岳地帯を走ろうと思い立って買ったもの。あの時どうしてそんな突拍子もないことを思いついたのか思い出せないのですが、アラスカのマッキンリーに登ったときに匹敵するくらいエキサイトな旅でした。

 ヒマラヤの山間にあるインダス川の源流地帯を700キロぐらい走りました。半端でないアップダウンの山道が延々続きました。土砂崩れで道がふさがれ、やむなく自転車をかついでがれきの山を越えたり、タイヤの半分くらい泥に埋もれたまま自転車を引いていったり、ローカルバスを乗り継いで先に行ったカミさんとはぐれてしまったりで、さんざんな旅でした。今みたいに携帯なんかない時代でしたので、カミさんを探し出すのにえらい苦労しました。探し始めて三日目か四日目、中国の国境近くの氷河のそばの山小屋で熱を出して寝込んでいるのを見つけたのですが、ほとんど奇跡でしたね。

 そんなハードな旅のできる自転車の後継機を買ったので、またどこかへ出かけるのかと自転車屋のおっさんはちょっとびっくりしていました。自転車かついで海外に出かけるような予定は今のところないのですが、70才を前に赤いツーリング車を買って、更に元気を出そうと思っただけです。

 

 車に乗ってばかりの不健康な生活なので、新しい自転車が来たら(受注生産なので手に入るのは5月半ばくらい)、それを使って通勤しようと思っています。養護学校の教員をやってた頃は毎日自転車通勤で20キロぐらい走っていました。一ヶ月で約400キロ、1年間で4,800キロ、10年で48,000キロ、地球一周が大体40,000キロなので、一周をはるかに超える距離を走ったことになります。

 自宅からぷかぷかまで往復10キロ。一ヶ月で200キロ、1年で2,400キロ、79才まで毎日走り続けたら24,000キロ、地球を半周以上することになります。よ〜し、がんばろう!

 

 運動不足解消のために、毎日マンションの階段を10階まで登っています。毎日時間を計っていて、10階まで180段を大体1分40秒前後で登ります。最近で一番いいタイムは1分37秒26でした。かなりのハイペースで登っています。以前ぷかぷかさん達と山登りしたときはこのトレーニングがすごく効いて、若いぷかぷかさん達が追いつけないくらいでした。また山に行こうと思っています。冬の北海道の山です。大雪山にはプロのガイドもいるので、チャンスがあればトライしようと思っています。危ないのでやめて、という声もありますが…。ま、危ないくらいの旅がおもしろいのです。

 

 尊敬するおむすび長屋の田中さんが70才で一線を退いたので、私もそうしようかなといっとき思っていました。ところが、昨年、ぷかぷかのアートを企業に売り込む営業資料が完成してから、企業との関係がグンと広がり、ぷかぷかの活動の幅、質がグンと広がり、活性化しました。こうなると仕事がますますおもしろくなって、当面一線を退けない感じです。

 目の前のスタッフの名前がなかなか出てこなかったり、肺がんの疑いで病院に行ったとき、現地で会ったかみさんの顔を見て、一瞬「どこかで見たことあるけど、この人誰やったかな」と思ったりで、若干ボケかかってはいるものの、ブログだけはまだしっかり書けているので、もう少しがんばろうかなと思っています。

 

 

 

人として正直に生きたかったのではないか

   財務省近畿財務局の職員が自死した、という報道を受け、

 「人として正直に生きたかったのではないか」

という投書が朝日新聞声の欄に載っていました。

 決裁文書の改ざんをめぐって、腐りきった政治が次々とあらわになってきた中で、目の覚めるような言葉でした。

 

 森友問題に関して文書の改ざんを命じられた現場の職員にとって、その命令に従うことは自分の良心が許さなかったのだろうと思います。

 「私にはできません」

ときっぱり言い切ることのできない職場の中で、尚も人として正直に生きようとしたのだと思います。人として正直に生きることが、死を選ぶしかないような社会はゆがみきっています。

 

 同じ紙面の「朝日川柳」

  浅ましさ「佐川佐川」の安倍一座

 

 このゆがみきった社会の中で尚も、人として正直に生きようとした人がいたこと。そのことをしっかり記憶しておきたいと思うのです。

 

 

「ざごうとでいます」?  なんのこっちゃ

 1月5日になってようやく年賀状ができあがりました。

「ざごうとでいます2018」なんて、わけのわからない年賀状です。

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 さしてうまくもないのに、こうやって年に一度版画を彫ります。鉛筆でラフに書いて、あとは行き当たりばったりで彫っていくので、字が収まらなくなったりしてすごく苦労するのですが、この行き当たりばったりの苦労がなぜか楽しくて、毎年彫ります。

 予定していたことが予定通りに行かないときの楽しさというか、だからこそ予定通りよりももっと面白いものができあがります。予定が予定通り行くのは当たり前のことで、そこには面白さも何もありません。予定通りに行かないときこそ、四苦八苦しているうちに、思いもよらないおもしろいものが見つかったりできあがったりするものです。

 と、もっともらしいことをいいつつ、字がまともに並んでないところはタカサキの人生そのもの。「ざごうとでいます」? なんのこっちゃ、という感じです。今年こそはすっきりきれいに、と思いつつ、気がつけばこんなふうにいつもなってしまうのです。

 というわけで今年も行き当たりばったりまっしぐらの人生。どんなことが待ってますか、わくわくドキドキの1年になりそうです。

 

 ★版画はとてもエネルギーがいります。トシのせいか、今年はこれを彫るだけでエネルギーを使い果たした感じです。いつもならこのあとはがきに刷るのですが、版画は刷るのにもものすごいエネルギーがいります。若い頃は三日くらいかけて200枚くらい刷ったのですが、悲しいかな今はそのエネルギーがありません。