タカサキきんこんかん

タカサキのキンコンカンの日々

でも凄いですよ!この年で面白くて止められない仕事があるなんて‼︎

 今朝アップした階段登りの話に、同い年の友人がこんな書き込みをしていました。

 

「お誕生日おめでとう🎉60代最後の年ですねー!いやはや、何といいましょうかね⁈私も7ヶ月後には、同い年ですけどね! でも凄いですよ!この年で面白くて止められない仕事があるなんて‼︎」

 

 「この年でおもしろくてやめられない仕事がある」というのはやはり幸せなことだと思います。61才でぷかぷかを始めるときの不安、経営が不安定で、ひょっとしたらもうだめかも、と思ったころの不安を思えば、今、こんなにもおもしろく仕事ができているのは、本当に幸せなことだと思います。

 そして今、そんな仕事があるのは、やはりぷかぷかさん達のおかげです。一人の人間の人生を支えるほどの仕事を彼らはしているのです。これって、すごいじゃない、と単純に思ったりするのです。

 彼らがそこにいる、ということ。そのことに意味があるのだと思います。

 

 たまたま見つけたブログに、彼らがいることで生まれた様々な物語を走り書きしていました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 彼らがそこにいることの意味を見つけ、形にしていくのは私たちの仕事です。今、その仕事がおもしろくてやめられないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは理屈ではなく、私の生き方

 60過ぎてからこんなに楽しい、活気ある人生が待っているとは予想もしませんでした。ぷかぷかを始めた当初は確かにしんどいことはいっぱいありました。それでもぷかぷかさんと一緒にいると、いつの間にか元気になって、なんとか乗り越えられたように思います。ピンチの時に一番支えてくれたのはぷかぷかさんだったのです。

 若い頃はそれほど感じませんでしたが、この年になると、今の人生、ぷかぷかさんなしにはあり得ないなぁとしみじみ感じます。彼らには感謝以外ありません。いい人生をありがとう!って。

 いつか人生を終えるとき、多分そんなふうに彼らに言うんだろうと思います。家族に対してとはちがう、もっとなんていうのか、自分の生き方に大きな影響を与えてくれたという意味で。

 彼らのそばにいて心安らぐだけじゃない、この社会にあって、人としてどう生きるのか、どうあるべきなのかを教えてもらった気がしています。相模原障害者殺傷事件に関していろいろ書けるのも、彼らとおつきあいし、彼らにいろいろ教わったからこそだと思います。

 どこまでも彼らの側に立つ、という生き方。彼らの側に立つことで、社会の構造が、具体的に見えてきました。人としての痛みを感じることができました。そして何よりも、そのことで人としてそこに立つことができたと思います。それが人生を豊かにしてくれました。

 障害者はちがう道を歩け、という人がいるなら、間違いなく私は彼らと一緒の道を歩きます。それは理屈ではなく、私の生き方なのです。 

  

誕生日プレゼントに赤いサイクリング車

  4月30日、タカサキはなんと69才になりました。

 冬の富士山で600メートルも滑落したり、胃がんになったりしながらも、よくぞここまで生きてきたと、ご褒美に丸石自転車のエンペラーツーリングマスターを買ってあげることにしました。

www.maruishi-cycle.com

 赤いサイクリング車です。今乗っている自転車(ツーリング用のサイクリング車)は40才になったとき、人生40周年記念で何かおもしろいことをやろうと、パキスタンの山岳地帯を走ろうと思い立って買ったもの。あの時どうしてそんな突拍子もないことを思いついたのか思い出せないのですが、アラスカのマッキンリーに登ったときに匹敵するくらいエキサイトな旅でした。

 ヒマラヤの山間にあるインダス川の源流地帯を700キロぐらい走りました。半端でないアップダウンの山道が延々続きました。土砂崩れで道がふさがれ、やむなく自転車をかついでがれきの山を越えたり、タイヤの半分くらい泥に埋もれたまま自転車を引いていったり、ローカルバスを乗り継いで先に行ったカミさんとはぐれてしまったりで、さんざんな旅でした。今みたいに携帯なんかない時代でしたので、カミさんを探し出すのにえらい苦労しました。探し始めて三日目か四日目、中国の国境近くの氷河のそばの山小屋で熱を出して寝込んでいるのを見つけたのですが、ほとんど奇跡でしたね。

 そんなハードな旅のできる自転車の後継機を買ったので、またどこかへ出かけるのかと自転車屋のおっさんはちょっとびっくりしていました。自転車かついで海外に出かけるような予定は今のところないのですが、70才を前に赤いツーリング車を買って、更に元気を出そうと思っただけです。

 

 車に乗ってばかりの不健康な生活なので、新しい自転車が来たら(受注生産なので手に入るのは5月半ばくらい)、それを使って通勤しようと思っています。養護学校の教員をやってた頃は毎日自転車通勤で20キロぐらい走っていました。一ヶ月で約400キロ、1年間で4,800キロ、10年で48,000キロ、地球一周が大体40,000キロなので、一周をはるかに超える距離を走ったことになります。

 自宅からぷかぷかまで往復10キロ。一ヶ月で200キロ、1年で2,400キロ、79才まで毎日走り続けたら24,000キロ、地球を半周以上することになります。よ〜し、がんばろう!

 

 運動不足解消のために、毎日マンションの階段を10階まで登っています。毎日時間を計っていて、10階まで180段を大体1分40秒前後で登ります。最近で一番いいタイムは1分37秒26でした。かなりのハイペースで登っています。以前ぷかぷかさん達と山登りしたときはこのトレーニングがすごく効いて、若いぷかぷかさん達が追いつけないくらいでした。また山に行こうと思っています。冬の北海道の山です。大雪山にはプロのガイドもいるので、チャンスがあればトライしようと思っています。危ないのでやめて、という声もありますが…。ま、危ないくらいの旅がおもしろいのです。

 

 尊敬するおむすび長屋の田中さんが70才で一線を退いたので、私もそうしようかなといっとき思っていました。ところが、昨年、ぷかぷかのアートを企業に売り込む営業資料が完成してから、企業との関係がグンと広がり、ぷかぷかの活動の幅、質がグンと広がり、活性化しました。こうなると仕事がますますおもしろくなって、当面一線を退けない感じです。

 目の前のスタッフの名前がなかなか出てこなかったり、肺がんの疑いで病院に行ったとき、現地で会ったかみさんの顔を見て、一瞬「どこかで見たことあるけど、この人誰やったかな」と思ったりで、若干ボケかかってはいるものの、ブログだけはまだしっかり書けているので、もう少しがんばろうかなと思っています。

 

 

 

人として正直に生きたかったのではないか

   財務省近畿財務局の職員が自死した、という報道を受け、

 「人として正直に生きたかったのではないか」

という投書が朝日新聞声の欄に載っていました。

 決裁文書の改ざんをめぐって、腐りきった政治が次々とあらわになってきた中で、目の覚めるような言葉でした。

 

 森友問題に関して文書の改ざんを命じられた現場の職員にとって、その命令に従うことは自分の良心が許さなかったのだろうと思います。

 「私にはできません」

ときっぱり言い切ることのできない職場の中で、尚も人として正直に生きようとしたのだと思います。人として正直に生きることが、死を選ぶしかないような社会はゆがみきっています。

 

 同じ紙面の「朝日川柳」

  浅ましさ「佐川佐川」の安倍一座

 

 このゆがみきった社会の中で尚も、人として正直に生きようとした人がいたこと。そのことをしっかり記憶しておきたいと思うのです。

 

 

「ざごうとでいます」?  なんのこっちゃ

 1月5日になってようやく年賀状ができあがりました。

「ざごうとでいます2018」なんて、わけのわからない年賀状です。

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 さしてうまくもないのに、こうやって年に一度版画を彫ります。鉛筆でラフに書いて、あとは行き当たりばったりで彫っていくので、字が収まらなくなったりしてすごく苦労するのですが、この行き当たりばったりの苦労がなぜか楽しくて、毎年彫ります。

 予定していたことが予定通りに行かないときの楽しさというか、だからこそ予定通りよりももっと面白いものができあがります。予定が予定通り行くのは当たり前のことで、そこには面白さも何もありません。予定通りに行かないときこそ、四苦八苦しているうちに、思いもよらないおもしろいものが見つかったりできあがったりするものです。

 と、もっともらしいことをいいつつ、字がまともに並んでないところはタカサキの人生そのもの。「ざごうとでいます」? なんのこっちゃ、という感じです。今年こそはすっきりきれいに、と思いつつ、気がつけばこんなふうにいつもなってしまうのです。

 というわけで今年も行き当たりばったりまっしぐらの人生。どんなことが待ってますか、わくわくドキドキの1年になりそうです。

 

 ★版画はとてもエネルギーがいります。トシのせいか、今年はこれを彫るだけでエネルギーを使い果たした感じです。いつもならこのあとはがきに刷るのですが、版画は刷るのにもものすごいエネルギーがいります。若い頃は三日くらいかけて200枚くらい刷ったのですが、悲しいかな今はそのエネルギーがありません。

新作オペラ『スマイル』

 オペラシアターこんにゃく座の新作オペラの紹介です。

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 『ロはロボットのロ』の作者鄭義信(ちょんういしん)さんの作品です。今回は戦争をテーマにした作品だそうです。

 笑いと涙が共存し、心に迫るこの物語は、今、このような時代だからこそ見て欲しい、とこんにゃく座の友人は言ってました。

 

オペラシアターこんにゃく座のホームページにある「スマイル」の紹介です。

www.konnyakuza.com

炎症指数 1

 日曜日の夜、ひどい熱と咳で救急車で病院に運ばれ、そのまま肺炎で入院しました。

 はじめは熱のために夜も眠れず、ごはんも全く食べられない状態でした。

 幻覚というのか夢というのか、目を閉じるとなんとも不快な世界に引きずり込まれ、すぐにまた現実の世界に押し戻され、ということを繰り返し、ほとんど眠れませんでした。

 三日目くらいから平熱に下がり、ごはんも食べられるようになりました。幻覚もなくなり、夜も眠れるようになりました。

 咳がひどく、発作が起きるともう苦しくて苦しくて涙がボロボロ出るくらいでしたが、それもずいぶん治まってきました。

 で、今日(土曜日)、血液検査をしたところ、なんと炎症指数が1まで下がっていて(入院時はこの数値が7以上でしたので劇的な回復です)、月曜日に退院していいと医者にいわれました。

 毎日抗生剤の点滴を2本ずつやってきましたが、これが効いたみたいですね。実によく効く薬だと思いました。

 

 病院は快適でした。

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 病棟の端にこんなラウンジがあって、すごく眺めのいいところです。ほとんど誰も来なくて、一人ここで本を読んだりブログを書いたりしていました。

 当たり前ですが、ごはんのしたくはしなくていいし、若い看護婦さんが入れ替わり立ち替わりいろいろ面倒見てくれるし、本当に極楽みたいなところです。

 先日は朝ご飯前に、ここでプロモーションビデオ・カナダ版を一人で試写しました。

 なかなか経験できない贅沢な時間でした。

 ブログを読んだ看護婦さんもいて、ちょっと話をしてみたら妹さんが精神障がいを持っていて、相模原事件の犯人についてのブログ、とてもよくわかります、っていってくれました。うれしいですね、こういう反応は。

 

 たくさんの方に心配していただきました。ありがとうございました。体力が落ちているので、少しずつ様子を見ながら復帰したいと思います。よろしくお願いします。

 病院というところは、本当に体を動かさないので、どんどんだめになっていく気がしました。それで体温が平熱に下がってからは毎朝、スクワットを30回くらいやっていたのですが、これくらいでは体力を維持できないですね。ふだんの暮らしをふだん通りに送ってこそ健康を維持できるんだとあらためて思いました。