腫瘍マーカー
人間ドッグの腫瘍マーカー「シフラ21-1」の値が高く出て、早急に精密検査に行くように、と指示がありました。「シフラ21-1」の値が高いとき、肺がん(上皮扁平ガン)の疑いがあります。
肺がんはいちばん治りにくいガンです。ガンにかかるのは二度目なので、ちょっとヤバいかも、と思ったりしています。
すぐに近くの病院でCTを撮ったところ、右の肺に小さな腫瘍がうつっていたのですが、今のところ悪性がどうかわからないので、3ヶ月後にもう一度検査しましょう、といわれました。3ヶ月たって、もし悪性だったら、治療が遅れることになり、なんだか心配になって、明日昭和大学の藤が丘病院に行くことにしました。
CTの画像をどう判断するかによるのですが、場合によってはいろいろ考えねばならないことがいっぱいあって、頭を抱えています。
まぁでも、何するにしても締め切りがある方が、いろんなことがきちんとまとまります。
そうやって前向きに事態を受け止めて、「よーし、やるぞ!」って気持ちで、明日(正確には今日ですね)結果を聞こうと思います。
タカサキが粉末に
自分が死んだらお墓ではなく、桜の木の下に埋めて欲しいと以前から思っていたので、樹木葬をやっているところに見学に行きました。
桜の木の根元に埋めるときは骨をパウダーにしてから埋めるそうです。パウダーは粉末です。粉末?そうか、粉末になるのか、と思いました。死んでからの話なので、骨でも粉末でも関係ないのですが、粉末になるというのは、妙にリアリティがあって、人生の最後は粉末になるんだと思うと、なんかちょっと笑ってしまいました。
人生は粉末になるためにある。なんかすごい哲学を見つけたような感じです。粉末になって、桜の木の元に埋められれば、木の栄養になります。最後の社会貢献です。これできれいさっぱり消える。なんだかカッコいいじゃん、て思いました。
吹けば飛ぶような粉末になるからこそ、人生ははかなくも、おもしろいんだと思います。おもしろいこといっぱいやったが勝ちです。
仕事もおもしろがってやるところがないと、つまらないです。藤が丘駅前の自然食品店マザーズの壁画制作はきまじめに取り組むとつまらないものになります。どこまでもおもしろがってやる、ここが仕事としても成功させるかどうかの分かれ目だと思います。「ぷかぷかさん」たちと一緒だと、私たちだけよりも、ずっと楽しく仕事ができそうです。ここの感覚こそが、彼らと一緒に生きていくことの意味なんだろうと思います。
家に帰って娘に「とーちゃんは近いうちに粉末になるよ」というと、「え〜!とーちゃんが粉末!」って大笑いしたあと、「だったら1グラムほど分けて」「何するの?」「袋に入れてとっとくよ」だって。とーちゃんを袋に入れてとっとく。うれしいこと言ってくれます。
テキトー人生まっしぐら
ようやく年賀状ができあがりました。気がつけばもう1月4日ですね。
今年は年のせいか、取りかかるまでにものすごく時間がかかりました。なんとなく面倒だなぁ、という思いは、危険信号です。これを許すと、あれも面倒、これも面倒、となって、やること、やれることがどんどん縮こまってきて、余計に年を取ります。そうなってはまずいと、年末から構えていたのですが、なかなか取りかかれず、三日の午後になって、ようやく彫刻刀を持ちました。彫り始めればやっぱりおもしろいので、5時間ぐらいぶっ通しで彫りました。久しぶりに集中したいい時間でした。
下の「たかさき」の文字が逆でしたね。「ゆきあたりばったり、テキトー人生まっしぐら」ですから、ま、こんなもんです。
版画の教科書には和紙に文字を描いて、裏返しにして版木に貼り付け、それに合わせて彫っていくように書いてあるのですが、たとえおもしろい文字であっても、その通りに彫るというのはおもしろくないです。鉛筆で版木に適当に書き、適当に彫っていくのが好きです。鉛筆で書くのは裏返しの文字のイメージをつかむためで、文字の位置、大きさ、幅などは彫りながら決めていきます。ここがすっごく楽しいですね。途中で裏返しの文字がわからなくなったり、スペースが足りなくなったり、いろんなことが起こるのですが、それがまた楽しい。今日は5時間もそれを楽しみました。お正月でいちばん楽しい時間でした。
このあとはがきに刷るのがまた大変な仕事です。はがきにインクがのりやすいように、よく絞ったふきんでこすって少しだけ湿らせ、版木の上に均等にインクを乗せ、はがきをおいて上からバレンでこすります。一枚刷るのに5分くらいかかります。
届く年賀状のほとんどがパソコンで作り、プリンターで印刷する時代にあって、今年も版画を彫り、手で刷ります。別に頑固にこのやり方を続けているわけではなく、やっぱり楽しいのです。そして何よりも手で作った年賀状のあたたかさを届けたいと思っています。
事件に向き合うことこそが、今一番求められている
今日の朝日新聞朝刊のトップページ、憲法についてとてもいい記事が載っていました。
相模原障害者殺傷事件について、安倍総理は事件以来ひとことも自分の考えを語りませんでした。相模原障害者殺傷事件は今の社会が抱える途方もない闇を思わせる事件でした。なんの罪もない人が19人も殺されたのです。それに対して総理大臣がひとことも語らないというのは、国自体の病み(闇)の深さを象徴しています。
アメリカで同性愛の人たちの集まるパブで、同性愛の人たちが何人も殺される事件がありました。そのときオバマ大統領は現地まで駆けつけ、黙祷を捧げ、メッセージを発信しました。ニッポンの首相は現地に駆けつけるどころか、メッセージすらいまだに発信していません。こんな首相にこの国を任せられるのでしょうか?
相模原障害者殺傷事件は途方に暮れるほどの難題の一つです。現実逃避している場合ではありません。事件に向き合うことこそが、今一番求められていると思います。
映画『不思議なクニの憲法』上映会のお知らせ
9月25日(日)午後1時からアート屋わんどで映画『不思議なクニの憲法』の上映会をおこないます。
昨年安保法案が国会で強行採決されてちょうど1年がたちます。IWJの20代の若い女性記者があの時を振り返っています。
国民の意見を全く聞こうとしない安倍政権、民主主義のルールを全く守ろうとしない安倍政権の恐ろしさがストレートに伝わってきます。この国は、ほんとうにどこに向かっていくのでしょう。
早ければこの秋、憲法改正の国民投票がおこなわれる可能性があります。Twitterの情報で憲法改正手続きの流れがわかりやすく示されていました。改憲勢力が三分の二を占めているので、その気になればすぐにでも手続きが始まります。まだ大丈夫、なんて油断していると、昨年の強行採決に見たように、安倍政権は暴力的に事を進めます。
84歳になる方の貴重なブログです。
第1号 日本はこういう国だった 戦後に生まれたあなたに - 昔あったづもな通信
『不思議なクニの憲法』ぜひ見てください。
映画『不思議なクニの憲法』上映会と「憲法カフェ」開催のお知らせ
9月25日(日)午後1時からアート屋わんどで『不思議なクニの憲法』の上映会をおこないます。今回は近所に住む中島さん、鈴木さんたちが呼びかけた「霧ヶ丘で《不思議なクニの憲法》をみる会」が主催です。そして10月14日(金)にはぷかぷかカフェで女性弁護士さんを呼んでおいしいコーヒーを飲みながら憲法を話を聞く「憲法カフェ」が開かれます。
こういう集まりをやろうとすると「政治的なことはちょっと…」と尻込みする人が多いのですが、でも、政治的なことは、そうやって尻込みする人のところへもずかずかと入り込んできます。
昨年、「安保法案」が強行採決の結果、国会を通りました。あの強行採決の映像見ましたか?とても子どもに見せられる映像ではありませんでした。あれが国会議員のやることですか?「政治的なことはちょっと…」と尻込みしたり、政治のことは政治家に任せておけばいい、と思って黙っていると、政治はああいう強行採決をおこない、無理矢理日本を戦争のできる国にしてしまうのです。政治から目を離してはいけない、私はそう思います。
子ども達に「日本はどうしてこんな国になってしまったの?」と聞かれたとき、どう説明しますか?子ども達は大人が引き起こした結果をすべて引き受けることになります。戦争もそうです。前回書いた「宙を蹴る赤ちゃん」にはどう答えればいいのでしょう。
安倍政権は、国を守るためには血を流す必要があるなどという人を防衛大臣にしました。安倍政権の姿勢が露骨に見えます。どこかの国と戦争になるのは、もう時間の問題です。それを食い止めるにはどうしたらいいか、今、必死になって考えないと、ほんとうに怖いことになります。
子ども達に希望のある未来を残したい。そう思うだけです。
今、政治がどうなってるのか、それをふだんからしっかり見ておくこと、そしておかしいことはおかしい、はっきり声を上げていくこと、それが何よりも求められています。